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カボチャ大好き!
2007 / 10 / 31 ( Wed )

カボチャの貢献度は、どのくらい?


「あなたは、カボチャ好きですか? きらいですか?」 と質問されると、「好きです。美味しいから。」 と即座に答える人がこの頃多いようだ。


ところが、戦時中に、米の収穫量が少なく、代用食として、カボチャや、芋類を沢山食べた経験のある方々の中には、「カボチャなんて、もう沢山だ。」 と答える人も、結構居る。


私の知人の中にも、カボチャを口にしない人が居て、カボチャが食卓に登場してくると、暗い顔をする。


(苦しかった頃の事を、鮮明に思い出すからだって。)


本当は、カボチって、栄養に富んでいて、健康食だと思うが、当節は、残留農薬の問題もあり、調理の際のひと工夫が、必要なので、「手間のいる食材だ。」と敬遠する人もいる。


輸入品も多く、年間を通して、食する事が出来るのは、カボチャファンにとっては、大変ありがたい事だが、食の安全を重視すると、輸入の際のチェックは、厳しくやって欲しいものだ。


消費者としては、記載されている項目を、信じて、購入するしか手が無い。 そこで、「安心できる食べ方と、調理法」 を、小まめに実行する事が、大切になってくる。


国産品でも、輸入物でも、残留農薬に不安があるので、ある本で調べたらしい友人が、こんな下処理の仕方を勧めてくれた。


皮の表面を、流水か、薄めた中性洗剤もしくは、せっけん液で、1分ほど、スポンジでこすりながら良ーく洗う。 (これで、農薬類は水に溶け出してくるそうだ。)


さらに、しっかり除く為には、皮を、所々まだらに厚くむいて、皮の中の農薬を、引き出しやすくし、一度茹でる。 その茹で汁るは、捨てる。


マッシュや、スープにする場合は、さらにもう一度茹で、この汁を捨てて、調理すると、安全度は増すそうだ。 


まるごと、オーブンで、焼く場合には、部分的に厚めにむいた状態で、もう一度、流水で、洗うと良いらしい。


(カボチャって、美味しいけれど、安全性を重視すると、こんなに手のかかる物だったのか・・と溜息が出るのは、私だけ?)


ところで、今日は、ハロウィン(収穫祭)だってさ。


日本には、こんなお祭りは無いが、アメリカあたりでは、楽しい、国民的ビッグイベントらしいよ。


大人も、子供もみんなで、盛り上がる、厳しい冬の来る前の、お祭りだから、特別な意味が込められているのかな?


仮装していて、射殺されたりするのは、悲しいが、とにかく、こんな暗いニュースの多い昨今だから、みんなで楽しめるイベントがあることは、良いことだ。


ここでの、主役は、「カボチャ君たち」


日本でも、商魂たくましく、夏の終わり頃から、スーパーや、レストラン、ファーストフードのお店、・・などで、盛んに「ハロウィン」 をうたい文句に、商戦を繰り広げている。


オレンジ色に、黒い色の細工を施されたカボチャが、人々の目を楽しませてくれる。 置物や、帽子、マント、おもちゃ入れ、お菓子の箱、・・とアイディアを生かせて、集客に余念がない。


(「ハロウィン」 何これ? と年配者が、陳列商品の前に立ち「止まって、きれいな置物だねえ。」 と感心しているが、カボチャが、原型であるとは、思わない様だ。)


「カボチャの重量当てクイズ」、や特別企画のカボチャメニュー、期間限定割引販売・・など、この時期は、どこでもカボチャだらけ。


このイベントの為に、売上向上にカボチャが一役買い、おもちゃや、お菓子を、余分に買って貰った子供たちが、ハッピーなら、世の中平和だ。


筆者も、レストランで、支払いを済ませる直前に、小さな紙片を渡され、店頭に置いてある、カボチャの重量を書き込んで、傍に置いてあるボックスに投書したのだが、・・「当たるかな?」  正解の発表は、明日。


さて、この頃は、カボチャにも、「お化けカボチャ」 とも言えるほど巨大な物から、子供の手のひらにスッポリと治まるサイズの「ミニミニ カボチャ」 までいろいろある。


味も、それぞれに、ホクホクしたものや、むっちりしているもの、甘いもの、さっぱり目のもの、など個性豊かだ。


色や、形も、様々だ。 オレンジ色、薄い緑、濃い緑、ずんぐり型、ヒョロリと細長いもの、・・など。


煮物に向いている物や、オーブンで、こんがりと焼き上げて食べるのが、お勧めの物など、ある中で、私は、「坊ちゃんカボチャ」が、気に入っている。


小さくて、食べ切りサイズだから、残る心配がなく、苦労して、カットする必要が無いので、扱い易い。 それに味も良い。


種を刳りぬいて、詰め物をし、ホワイトソースをかけて、オーブンで焼く。 


焼き上がって来た アツアツをスプーンですくって食べると、農薬の心配など、どこへやら・・・・忘れてしまって、「満足度 100%!」 の笑顔で幸せ気分にひたれる。


大きいカボチャと、小さいカボチャ、「あなたは、どちらがお好き?」 と聞かれたら、あなたの答えは、どちらでしょうか?


まあ、どちらにしても、世の中に「幸せをもたらすカボチャ」に乾杯!  


冬至には、カボチャを食べる習慣が日本には、あるが、しんみりと食べないで、気の合う仲間たちと、わいわい楽しみながら、「カボチャの煮物」で、盛り上がってみるのも一興です。


これもアメリカの話だが、テレビでは、お祝いムードに,わいているボストンの様子が、度々報じられている。


地元の野球チーム「レッドソックス」が、優勝したとやらで、お祝いムードいっぱいなのだ。 


チームカラーの赤、赤、赤! (何となく我が、「浦和レッズ」 の熱狂的なファンたちの行動に似ていませんか? 本当に、街をあげての大祭りですね。)


(日本人の「松坂投手」の顔を、もう何度見たかな? おめでとう!)


世界中から、テロや戦争が無くなれば、どんなに素晴らしいでしょうね。 泣いている顔より、やはり、笑っている顔の方が、良いですね。 (だから、ニュースも明るい方が良い。)  


そんな平和な日が、来る事を願って、今日のところは、主役の「カボチャ君たち」に 乾杯! 


 

11:52:25 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
知ってて助かった11円療法
2007 / 10 / 30 ( Tue )

11円さん、ありがとう!


「当節は、本を読む人が、少ない。」 と嘆いている人がいる。   けれども、本って、紙の温かみがあり、パッと開いて、すぐに読めるので、好きだ。


電子ブックも、今風で、本の様にがさばらず、それなりの良さはあるのだが、今しばらくは、紙の本を手にし、木の椅子に座って静かに本を読む時間を大切にしたいと思っている。


最近、刑部先生(おさかべせんせい)の、11円に関する本について、機会のある度に読み返してみている。 


勉強で、抜けている部分の確認と、先生の提唱されていた、「ツマ楊枝ツボ療法」 の研究の為に。 


これらに関する書籍類が、本屋さんで見かけられなくなっているので、買い替えが出来ない寂しさを感じている。 (読めないほどボロボロになる前に、記録しておかなくっちゃ・・ネ!)


こんなに、家庭療法として、役立つものなのに、「過去のもの」になりつつあるのが、残念だ。


今日、先生の出版物に関しての問い合わせも兼ねて、先生の奥さまに久しぶりに御連絡させて頂いた。


電話の向こうから、「チャキチャキ江戸っ子」ぶりを、思わせるお元気そうな奥さまのお声が、聞こえて来る。 今年の暑い夏も、大変お元気で過ごされたそうだ。 (良かった!ひと安心)


でも、「主人の本は、きっと図書館で見つける事が、出来るだけかも知れませんよね。」 と言うお答えだ。


折角、研究された11円療法を、忘れ去ってしまうには、勿体ない。 


「図書館が頼みの綱」 らしいから、もし、時間と興味のある方は、お近くの図書館で、刑部忠和先生の、11円に関する本を、 (何冊も出版されていますよ。) 探し出して、読んで見られる事をお勧めする。


私が、11円療法を推薦する理由は、幾つかあるが、先ず、高額な費用がかからない。 (必要なのは、10円玉と1円玉、それに止めるための絆創膏だけ・・。) 


簡単な事から、実践してみると、イザと言う時に、手軽に治療する事が、可能だ。 (チョイと貼り付けておくだけで良い・・)


それに、失敗しても、危険性が無い。 (アンレ、思ったほど効かないや・・! とがっかりするのは、自分持ち。)


ただし、もっと、知りたいと思う方は、奥が深いので、研究テーマとしては、面白いですぞ。


以上の様な訳で、我が、「自己健康管理のススメ」 としては、11円療法を、過去の研究として、すっ飛ばして、行くには、忍びなく、家庭療法の一つとして、みなさんに、「お知らせ」する事にしたのだ。 


「11円で、こんな事も出来るのか?」 と興味を持って頂けば、どこかで、役立つと信じているから。


(何かのご縁で、11円療法関連の本を、手にする機会が、得られるかも知れませんよ!)


私は、この治療法で、何度も助かっている。 


例えば、栃木県の塩原では、ミツバチに刺されて、困った時。  列車の中で、膝が腫れ、歩行困難になった時。 肩コリで、気分が悪くなった時。 入院中、強い薬のせいで、胃が激痛を起こした時。 目が疲れて、困った時。 など。


だから、きれいに掃除した10円玉と1円玉、それに絆創膏は、大抵、バッグに入れて持ち運ぶことにしている。 (緊急時に、役立つから。)


そこで、問題は、汚れている10円玉を、きれいにする方法だ。(肌に、直接貼り付けて使うのだから、治療に入る前に、先ず、やるべき事なのだ。) 


「コカコーラに、漬けておくときれいになる。」 と教えられたので、やってみたが、イマイチ。  


「入れ歯洗浄剤(ポリデント)が、役立つだろう。」 と提案する人がいたので、 早速買って来て、試してみたが、これもダメ。


台所用の磨き粉で、力一杯擦ってみても、腕が疲れるばかり。


あの手、この手、と試してみたが、思わしい結果が出ない。


がっかりしている私を見て、友人が、「お酢に、多めの塩を入れ、10円玉を漬けて置くと、きれいになる。」 と教えてくれた。


(本当だ! 何と、こんな簡単な洗浄法があったのか!オドロキ!)


何分も立たないうちに、見事にきれいになった10円玉。 


それを、好みで、少し磨き上げても良し、そのまんま、水でゆすいだ後、サッと拭いて、使っても効果のほどは、変わらない。


1円玉の方は、普通に洗剤を使って洗浄すれば良いだけ。


          準備は、オーケー。  あとは、


ルン、ルン、気分で、治療したいところへ、10円玉、1円玉、をお気に入りの絆創膏を使って、順序良く貼り付けて、おしまい。   


          と、こう言う訳。


「実は、私は、名医だった!」 と感心するほどですよ。


もしも、11円療法に関する本に出会えたら、ご自分の知りたい部分の、「治療に関するページ」 を見つけ出して、実践してごらんなさい。  きっと、その手軽さ、速効性に驚きますよ。


そして、この研究の成果を、書物にして、残して下さった、刑部先生に感謝するはずです。


19:53:34 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
11円を、役立てるには。
2007 / 10 / 29 ( Mon )

11円療法との出会い。


財布の中に、10円と、1円が入っていると、何となく安心するようになったのは、刑部先生(おさかべせんせい)の、「11円療法」に関する、講演を伺ってからだ。


埼玉県、越谷市で行われた 「琵琶の葉」 研究会のゲストスピーカーが、その年、たまたま「11円の先生」 だったのだ。


御自身の著書を沢山出版され、 テレビや、あちらこちらでの講演会で、「11円」の使い方を話されている先生のお話だから、「是非、参加する様に。」 とのご案内を頂いたので、参加させて頂いた。


その日、最前列の、真ん中あたりの席で、お話をお聞きする事が出来たのは、大変恵まれていたと思う。 


臨場感が有り、先生の、健康管理に関する熱い思いが、直に伝わって来る。


「自分自身でも何か、出来る事をやらなければ・・・」 と思わせる様な、内容の濃いお話編と、11円を使って、実際に治療して見せて下さる実践編の二部構成で、あった。


一通りの、お話が終わった後で、私が、「先生、1円じゃなくって、100円か、500円の方が、利きが早いと言う事は、無いのですか?」 とバカ丸出しの質問をした。


他の参加者達も、同じような事を考えていたらしい。


「そうだよねえ、大きいし、ツボに当たらなくても、外れは少ないかもねえ?」 なんて、てんでに口にしている。


先生は、「10円硬貨は銅でしょう? 1円硬貨はアルミです。 この治療法は、人体の電位差を利用する方法なので、、電位差の高い銅の10円硬貨と, 電位差の低いアルミの1円硬貨をペアーとして使うのです。」 と答えられた。


「人生の三大愁訴と言われている、痛み、しびれ、マヒ、を取るのに鍼灸師は、日夜、悪戦苦闘しているんです。 とにかく、症状を良くして上げたい・・と言う思いで、患者さんを治療しています。」 とも付け加えられた。


次々と愁訴を取って頂いている人々を眺めながら、「こんな事が、出来たら、素晴らしいな!」 と、しきりに感心していたのは、私ばかりではなかった筈だ。


さっきまで、足を引きずって歩いていた人が、11円玉を、貼って頂いた直後には、もうピンシャン歩いている。


腰痛で、そろそろ先生に近付いていた人が、最後の一個の1円玉で、ビシッと腰を伸ばして、サッサカ、サッサカ、と自分の席まで、引き上げて行く。


五十肩で、腕の上がらなかった人が、サッと、まっすぐ上に手を伸ばす。 それも全く痛がらないで…


「え? 何が起きたのだろう・・? こんな事ってあるのかな?」


でも、実際に奇跡みたいな事が、自分の目の前で起きているのだから、疑う余地はない。 まるで、魔法みたいだ。


「こんなに、速効性があって、みんなが助かるのなら、絶対にこれを学びたい!」 と意を決して、本を買い込み、読んでみたが、奥が、深くて、難しい。 


(あんりゃ、こりゃあ、素人には、無理じゃないのかい・・?)


優しそうに書いてくださっているのだが、・・? 第一、ツボの名前が、まるで、外国語ではないか。 図解があるが、・・?


そこで、もう一度先生にお会いして、教えを請いたいと思い、何度かお電話をして、やっとの思いで、アポイントが、取れた。


嬉しくて、その日が、来るのが待ち遠しかった。 


少しでも勉強しておこうと、先生の著書を精読し、質問も準備していたのだが、大変残念な事に、二度と先生にお会いする機会は得られ無かった。


過労のためだか、先生が、急逝されたのだ。


          !  ?  !


それでは、もう勉強を断念するか、あるいは、本を片手に、独学するかの二者択一だ。(どうしよう、?)


研究を止めるのは、簡単だが、こんな、役に立つ事を、諦めるのは、勿体ない。先生の著書が、残されているではないか!


一大決心をして、カタツムリの様ではあるが、私流11円療法の勉強がその時から、始まった。


先ず、11円を、きれいに磨く所から始まり、ツボを探す、そして、貼ってみて、効き目を試してみる。  これの繰り返しだ。


何冊もある、先生の著書を読み返し、気の流れを調べる。


この勉強法で、多くを学んだ。 


現在も勉強中であるが、私にとっては、終わりの無い学習である。 


何かのご縁で、この治療法との出会いが、あったのだから、役立てる事が出来れば、大変嬉しい。


旅行中、急に膝が痛くて、動けなくなった時など、助かりますよ。  チョイと貼り付けておけば、動けますから。


全ての治療法を、ご紹介する事は、出来ないが、いくつか、簡単に出来そうなことを、実践編として、次回、ご紹介する事にしよう。


続きは、10円の磨き方から。   お楽しみに。




18:56:43 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
1円玉と10円玉は、役立つか?
2007 / 10 / 28 ( Sun )

電子マネーの時代に思う事。


 近所に、イーオンと言う大型店舗が出来た。


大型駐車場を持つこの店舗は、週末や、国民の祝日などには、「どこから、こんなに多くの人が、集まって来るのか?」 と驚くほど、大勢の買い物客でごった返す。


 広大な売り場面積を持ち、食事、お茶を楽しむ事から、ゲームセンターまで完備しているので、休日を家族で過ごすには、「楽しい場所」と言えよう。


 親子連れや、仲良しのお友達同士、若いカップルなどが、思い思いのコーナーで、休憩をしたり、食事を摂ったり、・・と、どこかの小さな町よりも活気があり、賑わっている様である。


 冷暖房完備のビルの中で、気候や、天候に左右される事無く、用が足せるのも、高い集客率を確保できる、大きな要因となっている。


生鮮食料品は勿論のこと、ペット用品から、輸入品、家電製品、リフォームショップ、コーヒーショップ、各種専門の飲食店、さらに映画館に至るまで、揃っているから、便利なのである。


 ハワイの巨大ショッピングセンター、「アラモアナ」 程の規模ではないが、今日の、顧客の生活スタイルや、家族構成、彼らのニーズまで、良く研究して、運営されている。


 一昔前の、「買い物だけをするスーパーマーケット」とは、一線を画し、店舗内で、ゆとりを持って、楽しみながら、時間を過ごせる工夫が、なされている。


は、ここで、買い物の合間に、三階のウッドデッキに腰かけて、お茶をしたり、しばし、コーヒー片手に、数独(ナンプレ)を楽しんだりする事が、よくある。  (小さな贅沢・・・、アクセクする事を離れての、ちょっとしたゆとりタイムなのだ。)


知り合いの大学院生は、連休を利用して、郷里の新潟から上京してきた友人と、まる一日、ここで、楽しく過ごしたらしい。


 (スターバックスの、コーヒーもモテモテの大活躍だよ!) 


 ここでは、顧客の「囲い込み」を図ってか、独自のプリペイドカードが利用できるので、買物の都度、現金を出し入れする必要が無い。 


ポケットの財布から、小銭を探し出す手間が、要らないのだ。


まさに、電子マネー社会の、到来だ。


 


ところで、私は、先日、面白い場面に出くわした。


 小学生くらいの男の子が、お母さんと連れだって、買い物をしている。


カートを押す母親と、並んで、果物を物色している様だ。


 輸入果物や、国産の果物が、見栄えよく並べられていて、大勢の家族連れが、お気に入りの品物をカゴに入れている。


 陳列棚の隅の方に、白っぽく光る、小さな物を見つけたその子は、「アレ、お金が落ちているよ!」 と弾んだ声で、母親に訴えている。


 それを、凝視しながら、興奮気味に 「100円かなあ?、500円かなあ?」 と男の子。


 その白っぽく光る、小さな物に、チラリと目を遣った母親は、「ン? 1円だわよ。 放っておきなさい!」 と即答する。


未練がましい顔をしながら、「本当に100円じゃないの? 500円かもしれないよ?」 と小声で答えながら、遠ざかって行った。


(1円を笑う物は、1円に泣く! ですよ。)


(もしも、あれが、本当に500円だったら、どうしたのかな?)


 「可哀そうな1円さん・・ お前さんも使い方によっては、急病人を助ける事が、出来るのにねえ。」 と思いながら、レジで、精算をする際に、ヒョイと、レジ係のお姉さんに、それを差し出した。


「あそこに落ちていましたよ。 拾得物です。」と言って、1円を差し出した私を見て、怪訝そうな顔で、「ありがとうございます。」 とレジのお姉さんが、とりあえず答えてくれたが・・・・


「たった1円ですか?」 と言いたそうな表情が、可笑しかった。



1円は、10円と組み合わせて使うと、「とても役に立つ、医療機具」に早変わりする事を、皆さんご存じ無いのですね?


実はね、電子マネーでは、いくら大金が入っていても、「医療器具」 としては、役立たないけれど、1円玉(アルミ)と10円玉(銅)の組み合わせで、腰痛、肩こり、ひざ痛、ハチ刺され・・・・など、驚くべき威力を発揮するのだ。


普段から、この治療法を知っておくと、大変役立つこと、間違いなし。


11円の治療法については、刑部先生(おさかべせんせい)とおっしゃる方が、何冊も本を出され、家庭療法として、この簡単で、害の無い治療法を広めようと、御尽力されていたのだ。


 残念ながら、故人となられた今は、出版物として、書籍が、我々の手に残っているのみ。


 一度だけ、この先生の講演をお聞きした事がある。 10円と1円をピタッとツボに当てて貼られた時の、速効性には、目を見張るものがあった。 


 これは、画期的な治療法だと思った私は、 再度お会いして、もう少し具体的な教えを請いたいと思い、アポイントを取っていたが、実現される事も無く、終わってしまった。


奥さまのお話によると、丁度お会い出来るはずの日の、1週間前に急逝されたそうだ。


その後、奥さまから、いろいろとお話を伺いながら、先生の残された書籍類を頼りに、勉強させて頂いている。


11円と絆創膏があれば出来る、不思議な治療法は、多くの人々に役立つこと間違いなしだ。 外出先、や、緊急時にも役立ちますよ。


何でも、「知っていて損は無い。」 のですよ。少しだけの探究心と、前向きな姿勢があれば、一つでも、二つでも、覚えられるものだから、是非、覚えてほしい。


このカード社会で、誰からも忘れられている存在の様な、11円が、どの様に役立つのか? 次回のお楽しみとしよう。


1円を軽んじないで下さい。 10円と共に、大切にして下さい。きっと、役立つ時が、ありますから!

19:36:05 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
「油断大敵」! 体を温めよう。
2007 / 10 / 27 ( Sat )
体温管理は、健康管理の第一歩

台風20号が、本州に接近しているらしく、今日も雨。

カタツムリは、喜ぶだろうが、雨降りが続くと、やはり鬱陶しい。

風邪を引かない様に、体温を下げない工夫に余念がない。 特に、手足の保温には、気を付ける。 

暑い間は、クーラーで、体を冷やしていても、心地良いと、感じるから、大抵の人が、「冷え」に対して、無頓着な様である。

だから、秋風が、吹き始めて、体が、ホッとする頃、体調の異変を感じる人が、多い。 体温を下げる事の怖さを知らないでいると、そのツケは、自分で払う羽目になるので、くれぐれも気を付ける事だ。

私は、若い頃、夏の冷やし過ぎで、秋口に体調を崩し、内科の先生に2か月も、お世話になったことがある。 
若気の至りで、ガンガン冷やした部屋の中で、「クーラーなんて言う、有り難い文明の利器を、大いに活用しよう!」 とばかりに、薄着で、過ごした結果のツケだった。

以来、夏の冷やし過ぎには、注意を払う様になった。
「怪我の功名」で、外出時には、必ず冷気から体を保護できる物を、持ち歩くことにしている。 (夏場の外出時の荷物が、大きくて、格好は、悪いですよ。)

秋から、春先までは、大体外気温が低いので、寒さ対策は講じているが、それでも、薄着で、震えている人を、見かける事がある。 
「薄着の方が、格好良く見える。」 と思われるからかも知れないが、健康維持を度外視して、美容に熱心なのも、「本末転倒」 だろう。

「子供の厚着は、良くない。」 と言われていた事を思い出すが、これも体調や、環境に応じて、臨機応変に、賢く実行するべきだと思う。

当節、低体温の人が、結構多いらしく、体温35度代なんて言っているのを、よく耳にする。 人間の体温は、0.5度下がると、グッと病気にかかる率が、上がるから、「体温管理には、十分な注意をして下さい。」 と警鐘を鳴らしている先生方もいらっしゃる。

体温を上げるために、真綿を着たり、カシミアを着たり、ホカロンを入れてみたり、ありったけの工夫をして、暖をとる努力をするが、最も効率的な方法を、見つけ出した者の勝ちだ。

温めながら、尚且つ、体の疲れを取る工夫が、おススメ。 だから、衣類の素材は十分研究する必要がある。
効率よく健康維持が図れれば、それに勝る事はないではないか。

肩を凝らさないで、パソコンが、使える。 腰痛を軽減しながら、立ち仕事が出来る。 これらが出来れば、「文句無しに、快適な、効率の良い仕事環境を得られた。」 と、言えないだろうか。 

筆者は、いろいろと試してみた結果、自分に合った物に、やっと出会えた。 

多くの情報の中から、正しい情報を選択して、先ず、自分のニーズに合った物を試してみる事が、肝心だ。 

自分にとって、最も効率よく使える方法を工夫する必要があるので、お金も、時間も、手間もかかる。 

しかし、かけがえの無い自分の健康維持の為には、あらゆる努力を惜しんでは、本物に出会えない。 それに、どこか、不具合がある場合には、一手間かけて、改良する意気込みも必要だ。

世の中には、沢山の優れ物がありますよ。 大切な自分自身の体の為に、研究して下さい。 本当に必要な物が、見つかるまで。

私は、知人や、友人たちによく言う。 「自分自身の体が、たった100円しか価値が無いと思えば、それ以上の対価を払って、良いと思う物を入手する事は無い。」 そして、「おんぶに、抱っこ。ではダメ。」 と。

(しかし、・・他力本願の方々が、多いですねえ!) 先日行った、藤沢の内科医が、こぼしていたが、「自分の病気をまるで人事の様に考えている。 何とかして下さい。」 これが、ほとんどの患者の態度らしい。

一人ひとりが、「世の中の役に立つ有意義な人生」 を送りたいのであれば、もっと、各自が、自助努力をしなければ、ならないと思う。 機会がある度に、研究しましょう! 


まあ、こんな面倒臭い話は、今日の様な天気の日には、向かないから、最後に美味しい「中華まんじゅう」のお話をしよう。

(さっき蒸し器にセットしておいた物が、丁度食べ頃の様です。) 

こんな素敵な「中華まんじゅう」 が届いたら、どんな顔して食べようかと、考えて楽しんで下さい。  もしかしたら、あなたの所に、数日中に送られて来るかも知れませんよ。


横浜「聘珍樓(ヘイチンロウ)」 の「聘珍極上饅」。 一個約1000円。
縦23センチ、横17センチ、マチの深さ5センチの貫禄のある、立派な袋に入っている、300グラムの特大中華饅。 

中火で、約20分ほど蒸して、ホッカホカを、フーフー言いながら食べる。

フカヒレ、金華ハム、丸ごとの特大ホタテ貝柱、大きな海老、などが、どっさり入っていて、普通の肉まんとは、全く違う。

外側の白い皮も、特製らしい。 さすが、「聘珍樓」 と思わせる贅沢な逸品だ。 

これを、蒸し上げて、美味しいお茶を入れ、日頃の煩わしい出来事から、しばし解放されて、食する時のしあわせ! 

健康な消化器に感謝だ。 胃も、腸も元気だから、こんな美味しい物が頂ける訳よ。 日頃の健康管理の努力に対して、「御褒美」と言うところ。

一個食べると、しばらく何も要らない。 もう、お腹いっぱいです。

体は温まって来たし、元気が出て来たよ!

「能無しの、食工夫。」 なんて、誰が言ったのかなあ? 本当の「能無し」 には、こんな美味しい食工夫は、出来ないと思いますが・・?


今夜、関東地方に台風が、最も接近して来るそうで、雨脚も先ほどより、少しずつ強くなって来ましたよ。 

大きな被害の無い事を願っています!


 



 
16:11:08 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
人の役に立つ仕事とは?
2007 / 10 / 26 ( Fri )

誰かの役に立つ事は、大きな喜び。


昨日の好天とは、打って変って、今日は朝から、雨だ。 天気予報、的中である。 (こんな日は、喘息患者にとっては、特に要注意)


パッと晴れた日は、心も晴れやかになるが、雨の日は、なぜか心が、幾分か重い。 積極的に、気持ちを明るくしようと、無駄な努力をしてみても、長〜いドレスを着て、重い裾を引きずりながら歩いている、没落貴族のオバサンの様な気分だ。


楽しい事や、心が、ワクワクするような事が、思い浮かばないから、とりあえず、さっきヤマト運輸のお姉さんが、雨の中を、配達してくれた段ボールの中味を覗いてみる。


箱の中には、友人が、プレゼントしてくれた野菜や果物が、丁寧に梱包され、行儀良く、並んでいる。 


梨、りんご、生姜、ひらたけ、白菜、里芋、ホウレンソウ・・ちょっとした小さな八百屋さんみたいで、「お店やさんごっこ」 が出来そうに種類が多い。

EМ(有用微生物群)と言う物を使用して、栽培された特殊な作物だから、いろいろな地域の農家から集められた希少価値のある物だ。

(思いやりと、優しさを頂いて、こんな日には、特に元気が出ます。)


野菜といえば、こんな面白い話がある。 こんな、パッとしない悪天候の日に思い出すのには、丁度良い話である。


息子が、やっと一人で歩けるようになった頃の話だ。

当時、我が家の近くには、マルエツと言うスーパーがあった。 歩いて行ける距離にあったので、運動を兼ねて、日常の買い物は、たいていここで、済ませていた。

ご近所の子供連れや、顔見知りのお年寄りも、大抵このスーパーで用を足していた。

立ち話をしたり、声をかけあったり、と、「買い物」と称して、お互いのコミュニケーションを図っていた。 かなり、のんびりと贅沢に時間が過ごせて、ご近所の人間関係も親密であった様に思う。

「どこの子供が、歩けるようになった。」 とか「離乳食が終わった。」 とか、「乳歯が、何本生えてきた。」 と、かなり詳しい情報を共有できる環境にあった頃のことである。

その日、よちよち歩きを卒業して、自分の行きたい方向に歩けるようになった息子を連れて、マルエツへ出かけて行った。

歩くことが、面白くて、ベビーカーには、乗りたがらないから、空のベビーカーを押して歩く私と、ヒョコオヒョコ私の横を歩く息子を見て、ご近所の奥様が「アラ、ヒロちゃん、自家用車に乗らないで、どこへ、行くの?」 と尋ねる。(自家用車とは、ベビーカーのことです。)

「うん、お使いに行くの。 オテツダイだよ。」 と、ニコニコ顔で、嬉しそうに答える息子。 歩いて行ける事が、嬉しいようだ。

「それじゃあ、お母さんは、助かるわねえ。」 と付け加えられた言葉が、息子のヤル気を、刺激したらしい。

必要な買い物をひと通り済ませて、買い物かごの中味を整理し始めた時、息子が、「オテツダイする・・!」 といって、自分の頭ほどもある大きなキャベツを運びたがるのだ。

「こんな大きな物、運ぶなんて、いくらヤル気があっても、そりゃあ、無理だろう。」 と思ったが、どうしても「オテツダイ、オテツダイ・・」 と言いながら、キャベツを抱え込んで、離さない。

何だか、悪い予感がしたが、まあ、「やらせてみるか!」 と、持たせる事にした。

転んで、怪我さえしなければ、良しとして、何度も道路上に転がるキャベツを横目に、我が家まで、オテツダイをして貰った。

(知らない人が見ると、「継母にいじめられている可哀そうな男の子」の様に、見えたかもしれませんね。)

やっと、我が家に辿り着いた我々を見て、先ほどの奥様が、「アラ、ヒロちゃん、お帰り!良くお手伝い出来たねえ。 お母さん大助かりだわよ!」 と声をかけてくれる。

それを聞いた息子は、「ママ、タスカッタ? ぼく、ヤクニタッタ?」 と、私の答えを待っている。

まさか、「こんな、ぐじゃぐじゃになったキャベツ、どうするの?」 なんて手伝ったつもりになっている息子に、言える筈もなく、「・・役に立ったよ。ありがとうね。」 とお礼を言う変な母親。

それを聞いて、すかさず、息子が答えた。 「ボク、またお手伝いするから! 役に立ったでしょう?」 と。

(ああ、今夜のロールキャベツは、・・・肉団子に変更か?)

肩を落としている私を見て、「本当は、あのキャベツ、何に使う予定だったの?ロールキャベツ?」 と、別の奥さんが尋ねる。

「そうなのよ、 あれじゃあ、使えないね。」 と答える私。

しばらくして、隣の奥様が、「あの、ぐじゃぐじゃの葉っぱでは、使い物にならないだろう。」 と大きなキャベツの葉っぱを沢山届けてくれた。 もちろん、メニューは、最初の予定どうり、ロールキャベツになった。

ついでに、「ヒロちゃん、今日は、お母さん大助かりだったわよ。」 と付け加える事も忘れない。 (御親切にどうも有難うございます。)

こんな事があってから、キャベツ運びは、息子のかかりになった。

「ボク、役に立った?」は、 その頃から、お使い後の合言葉、みたいになって、 ご近所の小さいお子さんたちも盛んに使うようになった。

近所ぐるみで、子育てをしていた、懐かしく、微笑ましい思い出の一コマ
が、こんな天気の悪い日には、ほのぼのと思い出される。

人って、優しさや、思いやりを持つ事で、お互いが、気持ち良く生活できるのですね。 年齢、性別は、関係無い様です。

川口も、人情のある良い町でした。
みなさん、良い思い出を沢山有難うございました。 「お手伝い大好き」の息子も、相変わらず、元気です。

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まぼろしの天狗黒茶
2007 / 10 / 25 ( Thu )

霊峰石鎚山麓で見つけた黒茶のこと


今日は、朝からとても良い天気、絶好の家事日和だ。


早いうちに、洗濯物を片づけて、その後で、お勝手の片付けをしようかな? 


この頃、夏の疲れが出てきたのか、体調は、黄色信号に近い。 美味しい物の多い季節だが、要注意だ。  


(ちょっと、疲れの出ている胃腸を労わって、今日のお茶は、黒茶にしよう。)


ベランダから、遠くの空を眺めながら、ふと、毎年、この黒茶を、供給して頂いている近藤様グループの、「今日の遍路の旅、最終コース」に思いを馳せる。 


今日のコースである、香川県は、天気が良いのだろうか? 


昨日のお電話では、今年の、四国八十八か所のお参りは、今日の香川県の札所巡礼で、終わりだそうだ。 


紅葉には、まだ早いだろうが、好天に恵まれて、「素晴らしい祈りの旅が、出来ます様に!」と願っている。


四国八十八か所巡礼の旅の納めは、もちろん、高野山(和歌山県)だ。 きっと、来月行かれるのだろう。 


1ラウンド約1400キロの四国内の旅のフィナーレが、高野山、奥の院だから、この地にたどりついた時には、みんな、感無量なのだ。 (ありがとうございます!と言う言葉が、ぴったりとあう。)


このグループのお遍路さま方は、毎年、お大師様の足跡をたどって、修行させて頂いていることで、新しいエネルギーと、心の元気を頂くそうだ。 


そして、隣人に、優しさを分け与える事の出来る力を、増幅させて頂き、さらなる利他行に励まれている様だ。


「祈り、働く。」 と言う、お大師様の教えを、実践していらっしゃる事は、素晴らしい事だと、頭の下がる思いである。 


「遍路の旅も、人生も同じ事だ。」 と言われた、ある行者さんの言葉を思い出す。 (そうだよねえ!・・)



今日のテーマ、「まぼろしの、天狗黒茶」作りは、このグループが利他行の一つとして、始められた事業だ。


失われつつある、伝統的な「お茶づくり」 を、次世代に残すこと。


本物の良さを、多くの人々に、役立てて頂くこと。


これらを、目標として、あらゆる困難を、克服しながら、今日まで、製造を続けられたそうだ。


このお茶は、山岳信仰で知られる、霊峰石鎚山のふもと、愛媛県西条市小松町に伝わる、発酵茶である。 独特の酸味と風味のある、素朴な「お茶」だ。


全ての作業を、機械を利用せず、手作業に頼っているから、、大量生産は、出来ない。 近藤様をリーダーとして、一年中で、一番暑い時期に、二度の発酵をさせて、「黒茶」を作るそうだ。


お茶の葉っぱを切ったり、蒸したり、手でもんだり、石鎚山のふもとの気温の低い場所まで、発酵させるために運んだり、・・


大変作業量の多い、重労働だと聞いている。


お茶の葉は、消毒をしないので、残留農薬の心配がない。


昔スタイルで、作る訳だから、添加物も無く、安心して飲めるので、筆者も、この「勿体ないお茶」 を飲む度に、この方々のご苦労を思い、感謝している。


なんだか「お大師様の香りのするお茶」 の様に思えて、有難く、懐かしい気持ちが湧いてくるのが、不思議だ。


(祈りながら、作ってくれたお茶だからかなあ?)


生産される量が、少ない事もあって、「まぼろしの・・」と言われているのかも知れないが、むしろ、私は、嘘、偽りの無い「真面目なお茶」、「心のこもったお茶」、と言う意味で、当節、「滅多に出会う事の出来ない希少価値のあるお茶」 だと理解している。


胃腸の調子が、「イマイチ」 の時には、特に、お勧めである。胃腸に優しくて、気持ちが良くなるから、重宝だ。


また、覚醒作用が無いのか、安眠を妨げられることも無いので、時間かまわず飲めるのもありがたい。


中国のプアール茶とは、違った味と、香りを持つ、独特の健康茶だ。


見かけは、素朴だが、私は、お茶として飲んだり、粉末で、御飯に炊き込んだり、ちょっと酸味があるのを利用して、ハーブの代わりに、カレーや、トマト料理に利用している。


料理の仕上がりが、とてもさっぱりとして、食べやすく、 ご飯に入れて炊くと、焦げ茶色のご飯に仕上がるが、消化が良い。


折角、大変な労力を使って、作られた物だから、粉に挽いて、捨てるところなく、全部食べてしまうのが、この黒茶の理想的な有効利用法と言えよう。


とにかく、非常に利用範囲の広い「発酵茶」なので、このグループが、四国巡礼の旅を続けられる限り、ずっと、作り続けてほしいと、願っている。(もちろん、後継者が、育てば、喜ばしい事なのだが・・・?)


最近は、グループの高齢化が進み、リーダーも、点滴のお世話になりながら、作業をされるらしいので、秋風が吹き始める頃、「今年も、無事にお茶が終わりましたよ。」 と言うお電話を頂くとホッとする。


あまり、ご無理をされてもいけませんが、今後も、この「天狗黒茶」 を、何とか継続して供給してほしいと願っているのは、私だけではないだろう。 


(文殊菩薩様のお知恵を、拝借できませんか? 何とかなりませんかねえ? 継続できる良い手だて、ありませんでしょうか?)



 さて、出かける前に、もう一杯、黒茶を飲んで行こうかな?     胃腸が、元気になるからね。  あなたも一杯いかがですか?


 




 





 


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安全な食べ物探し。
2007 / 10 / 24 ( Wed )

医食同源。食の安全性と利便性の挟間で・・



ほかほかと、湯気の立ち上る「おでん」の土鍋を囲んで、一家団欒なんて、良いですねえ。  もう、そんな季節ですよ。


話が、はずむし、みんなの心が、和む。 湯気の向こう側に 暖かい笑顔が、広がる。


鍋の中では、こんにゃく、大根、昆布、ちくわ、卵、焼き豆腐・・・がクツクツと、小さな音を立てながら、誰かの取り皿に、載せられるのを、待っている。


「どれを取ろうかな?」 と、ちょっと思案して、嬉しそうに目的の物を、それぞれの取り皿に取り、満足げに、ほおばる家族たち。


晩秋の、庭先では、虫たちの鳴き声が、チロ、チロ・・、心細そうに、聞こえて来る。 


冬が、すぐそこ迄、近づいて来ているから、虫たちの、にぎやかな合同演奏会は、もう終わりだ。


テレビコマーシャルに出て来そうな情景だが、まだ、こんな素朴な家族の団欒が、そこ、ここで見られる。


朝夕の冷え込みが、本格的になって来ると、やはり、食卓で、人気があるのは、おでん、や鍋料理だろう。


(皆さんの、お宅は、如何かな?)


普通、おでんが、この様に食卓に載るまでには、家族の中の誰かが、買出しから、下準備、煮込み・・と手間をかけて準備するのだ。  しかし、もっと「手軽なおでん」 もある。


例えば、当節、ファーストフードのお店では、アツアツのおでんを販売しているので、出先で、サッと手軽に食べられる。 


はんぺんでも、大根でも、好みの物を、好きな数だけ、発砲スチロールの入れ物に入れて貰って、会計を済ませ、小さなポリパックに、入っている「からし」を貰って、「ハイ、いただきまーす!」   (ざっと、こんな調子だ。)


車の中でも、公園のベンチでも、すぐに食べられるので、利便性を考えると、この手の「おでん」の貢献度も高いと言える。


何しろ、みんなが、「食べる人」だから、手間要らずだ。それに、鍋を片付る作業も不要なので、主婦も手抜きができる。


また、スーパーでは、一通りの食材と、煮汁が、ポリ袋にパックされた、「おでんセット」 を販売しているから、独身者や、料理の時間が無い方々には、大変重宝な、食材として、利用されている。


とりあえず、「胃袋を満たしてくれる」 から、有難い存在と言えよう。  合理性を追求して行くと、これも、案外、お勧めのパターンかもしれない。



ところで、最近、テレビで盛んに報じられている、食材の偽装、・・これって、気になりませんか?


賞味期限の改ざん、虚偽表示、・・見つかったら、「ばれたか!」 って感じだから、庶民は、「何を信頼すれば良いのやら? 騙される方が、馬鹿なのか?」


既製品を、重宝に利用している者にとっては、「ユユシキ一大事」だ。 「エエ!ウッソオー、これ、何の肉?」なんて。


「正直者がバカを見る。」 とは、思いたくないが、騙した者が、大手を振って、言い訳をして通る社会は、褒められたものではない。 (イヤだねえ。 こんな風潮は。)


「食」を扱う企業関係者の皆さんには、特に「食の安全」について、真面目に考えてほしいと思う。 (みんな、「信頼したい!」のだからね!) 


消費者の方が、こんな悪いニュースに慣れちゃって、「又か?ア、そうなの!」なんて事にならない様に、お願いしますよ。企業には、企業モラルがあるでしょう?


安心して、食べられる美味しい物を、沢山供給して頂けば、その企業に対する信頼度が上がる。 企業にとっては、信頼利益が大きい。


また、我々、食べる側にとっては、安全で、美味しいものを食べる楽しみが、増える訳だから、どちらにとっても、嬉しい事ではないか。  


(パッケージを裏返し、目を吊り上げて、添加物や、賞味期限をチェックする必要も無い訳だし、・・・)  「八方丸く治まる」 って訳よ。


農薬や、食品添加物についての心配は、払拭しきれないが、私自身は、安全な材料の選び方や、食べ方について、熟知している訳ではない。


そこで、本を片手に、調べながら、食卓に載せる物の、安全確保については、ボチボチ工夫している。 (下準備の段階で、気を付けられる点には、気を付けて、やるしか無いのだが・・)


(まあ、「やらないよりは、まし!」 位かな。) 


これも「怪しいモノ」 もあるので、時々、疑心暗鬼に陥ってしまう。 「本当に、これって大丈夫かな?」 なんてね。


「そうすると、何もかも危険に思えて、食べられる物が、無くなってしまう! 


これは、「無農薬」ですよ。 あちらは、「有機栽培」ですよ。 なんて、普段よく耳にするよね。


ところが、私自身、情けない話だが、「減農薬」、「省農薬」、「低農薬」、が、お互いどれほどの違いがあるのか、よく分らない。


それに、こんな狭い日本で、完全無農薬だの、有機栽培だのが、果たして、本当に可能な事なのかも疑問が残る。 (隣の畑や、田んぼから、農薬飛んで来ないのかなあ? 化学肥料は、絶対侵入して来ない?)


(「値段が、高いのだから、きっと、特別なんだろうよ!」と、勝手に自分を納得させているけれど・・ 不安はあるのよ。)


今夜は、「おでん」にしようと、張り切って準備しているが、人参も、大根も、レンコンも・・農薬の洗礼を十分に受けているだろうなあ。 (ボソ、ボソ・・イライラ・・)


竹輪や、豆腐は大丈夫かい? ウコッケイの茹で卵はどうだ?


(あー、こんな事を心配していたら、折角の「おでん」 もまずくなるから、やーめた!)   



でも、食卓を預かる者としては、やはり、全幅の信頼を持って、喜んで食べてくれる家族に、「美味しくて、安全な物を食べさせたい。」 と思うのは、当然の事ではないのかなあ?


家族の笑顔を見てたら、健康を、願わない主婦は、居ないでしょうしね。  


とりあえずは、少しでも、安全な食べ方を、工夫してみませんか?     「医食同源」だからね。


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微笑みのギフトを有難う!
2007 / 10 / 23 ( Tue )

微笑みの輪を広げよう。

朝、鏡を見る時、先ず、自分に向かって微笑むことにして久しい。
理由は、「自分に良い波動を送りたいから。」 そして、「その輪を広げたいから。」

朝、一番最初に出会った人に微笑まれると、何となく「今日は、良い日だ!」 と、思えませんか? 

でも、自分以外の人に、「微笑み」のおねだりをしてみても、そう都合良く、素敵な微笑みが、返って来るとは、限らない。

だから、自分で、自分に朝一番の「微笑み」をプレゼントする事を、決めた訳だ。 スムーズな一日が、スタートできる様に。

こんな事を思いつくには、それなりの理由がある訳よ。


ずっと以前、カナダ人の宣教師であるカトリックの神父様が、何度か、我が家においでになった事がある。 

(息子が、通っていた、インドネシアの小学校の校長先生だった方だ。)

東南アジアの布教地から、カナダへお帰りになる途中で、我が家に寄って頂く。 時間が許す限り、帰りにも立ち寄って頂き、息子の成長ぶりや、家族の生活ぶりを、観察し、日本の標準的な家庭の生活をしばし楽しんで頂いた。

日本食は、何でも「美味しい」と、感謝しながら、召し上がって下さったので、 準備する私も、大いに張り合いがある。

何かが、不足して居ても、ニコニコ顔で、「大丈夫!ありがとう」なのだ。

日本のお風呂も使われるし、布団にも眠られる。 それに、狭い日本の部屋の中で、器用に「ミサ聖祭」も行われる。

この神父様が、朝一番に家族に素晴らしい「微笑み」を見せてくれると、みんな、ハッピーな気分になって、無意識のうちに、自分たちも、「微笑み」で朝の挨拶を交わすから、家の中に「微笑みの輪」が広がる。

そして、「おはよう」の挨拶の次に来る言葉は、いつも決まって、「今日も一日、神様と共にあります様に!」 だ。

特別な、司祭用の服を着て歩く訳では無いから、外見からは、ニコニコしているフランス系の「おじさん外人」 にしか見えない。

どう見ても、日本人には、見えないので、ご近所の方々は、「誰だろう? 従兄には、見えないなあ・・?」 それに、「ニコニコしているけれど、全く日本語をしゃべらない。 スーパーで、納豆など買うのを、うなずいて見ているけど、食べられるのかな? 」 って具合だ。

それに、温泉大好き。 とにかく、もてなす側の、気持ちを十分に理解して、何でも受け取って頂けるので、こちらも嬉しい。 


カナダ、ケベック州ご出身の方なので、帰りのお土産は、メープルシロップや、メープルシュガーだ。 それを、お皿に出して、パンに付けたり、
紅茶に入れたりして、楽しく頂くのが、みんなの大きな楽しみであった。

いろいろな土産話も、沢山聞かせて頂いた。 大きなカバンにご両親が準備して下さった、お土産がいっぱい詰まっていて、それらを、私たちに
おすそ分けしてくださる。

「せっかく、ご両親が下さった物だから、・・」と遠慮気味に言う私たちに、「両親は、私が、ここに寄って行く事を知っていますから、その分多く持たせてくれました。」 と惜しげもなく差し出して下さる。

「それでは、ご遠慮無く、有り難く頂戴致します。」 と頂くのが、一つのセレモニーみたいになって、また、「笑顔の輪」が広がって行く。
 
時計が、午前2時を指しても、話は途切れない。
時間の経つのが、速いのと、疲れないのが、不思議だ。

そのとき、「神様って、やっぱり、凄い方だ!」と感心する私だが、何か、とても大きな精神的ギフトを手渡された様な気がする。

最後にお会いした時は、ご自身のご両親を亡くされた直後で、布教地へ、帰任される時だった。

この時も、穏やかに微笑みながら、訃報に接して、動揺する私たちを、一人一人見つめて、静かにこうおっしゃった。

「母は、ありがとう、と言って、私の手を取り、微笑みながら、亡くなりました。 父は、その後、間もなく心臓発作で、一人暮らしの寂しさを味わう事無く、神様のもとに帰りました。」

(エー! 一度に御二人とも亡くされた?・・・・ 沈黙・・・メープルシロップを開ける元気も無く・・・がっくりと肩を落とす私たち)

しばらくは、うちの中が、モノトーンの世界と化してしまった。


私たちの、落ち込む様子をご覧になって、小さくうなずきながら、静かに微笑んでいらっしゃる神父様。 私たちの暗ーい顔とは、随分対照的だった。

「やっぱり、この神父様は、ただ者ではない。 この方の日々の祈りは、神様との強い絆を作り上げていたのだなあ!」 と感動する。

本物の「微笑み」は、無償のギフトです! 仏教で言うところの、これも立派な「布施の心」(利他行)だ。

こんな素晴らしい「微笑み」に出会えた事は、かけがえのない贈り物だった。 そして、多くの事を、教えられた。

「文句jを言う前に、感謝する事、そして、善なる方向に生きて行く事。」
これが、神父様の無言の教訓だったようだ。


だから、せめて、今日一日を、精一杯生きる自分への励ましの気持ちで、先ず、「鏡に映っている自分に」 微笑みを送ることにした。


小さなことでも、一つずつ、実行してみると、それらが、積み重なって、幸せの、小山が、出来ているかもしれないよね。

「微笑みの波動」を、広げてみるのも、 平和な社会を作る一助になるかも・・・!  あの、神父様の生き方のように!

(Thanks be to God!!)


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和太鼓、響け世界の大空に!
2007 / 10 / 22 ( Mon )
魂に感動を与える、日本の文化和太鼓の響き。

「出羽の守(でわのかみ)」って、言葉聞いた事あるよね?

これは、息子から聞いた話だが、時代劇なんかで、使われている「・・・出羽の守」 じゃなくて、今の社会で、「出羽の守」って呼ばれる人たちが居るそうだよ。

あれって、何でも知ったかぶりして、「あそこでは・・」、「ここでは・・」 と、あたかも、何でも知っているかの如く、言いたがる人の事を指して、言う言葉だって。

だから、あまり良い意味で使われる言葉ではないらしいよ。

話している本人は、そんなつもりでは無いのだろうが、聞き手の方は、「又か!ウンザリ・・」 なんて少し、嫌味な思いを込めて 「あの人は、出羽の守だから・・」 なんてふうに呼ぶらしい。


私も、陸前高田市で開催された、「和太鼓の饗宴」についての感動を、伝えようと、本日は、「出羽の守」に徹してみることにする。

何せ、この「出羽の守」 は、和太鼓については、ほとんど予備知識を持ち合わせていなかったので、にわか勉強と、体験によるレポートだ。

(みんなで、この日本の素晴らしい伝統文化を、世界に誇る文化として、考えてみるのも、良い機会ではないのかな?)


第19回目を迎えた陸前高田市、に於ける「全国太鼓フェスティバル」当日は、好天に恵まれ、盛況の内に始まった。

出演者は、遠くは、長崎県から、兵庫県、石川県、静岡県、神奈川県、東京都、福島県、それに、地元、宮城県、岩手県と、広く全国から、一堂に会したものだった。

出演者の年齢層は、小学生から、高齢者まで、と大変厚く、演奏経験も長短様々だ。 

小、中学生や高校生は、勉強の合間に練習し、アマチュアグループの大人たちは、本職の仕事の合間を縫って、また、プロの演奏家達は、演奏活動の合間に、其々の立場に合わせて、腕を磨くそうだ。

(私なんかが、ボーっと時間を費やしている間に、この方々は、時間の有効利用を図って、「利他行」に励んでいらっしゃる訳ですなあ。 反省!)

それぞれのカラーを持ったチームが、この日の為に、準備をし、練習を重ねて精一杯の演奏を披露してくれた。

全日本ジュニア選手権チャンピオンや、プロの演奏チーム、等に混じって、アマチュアチームの演奏が、聴けるのだから、聴衆は、有り難いサービスを受けていることになる。

(一か所にエラソウに座っていて、これほどバラエティーに富んだ演奏が、次々と聴ける訳だから、贅沢だよね。 そう思いませんか?)

(ただ、プラスチックのイスが、少々冷たいので、座布団を持参する必要があったな!、それに出来ればホカロンも・・と、準備不足の自分に反省すること・・・しきり・・)

それぞれの演奏チームが、伝統を重んじた演奏の上に、さらに新しい工夫を凝らして、見る楽しさ、聴く素晴らしさ、を次々と繰り広げてくれる。

創作太鼓は、新しい時代の和太鼓演奏のあり方を、演じてくれるので、若いエネルギーと共に、聴衆を魅了する。

プロは、プロなりの多芸多才な所を、惜しみなく聴かせる。 演奏される
一つ、ひとつの音が、生きている。 呼吸している事を感じさせる。

音が、魂を揺り動かすのだ。 すごいパワーだ。 

ピアノ演奏と共に、また、鼓(つづみ)の澄んだ音色、笛の優しさと、、力強い大太鼓の響きが、何とも形容し難い雰囲気を醸し出す。

そして、アマチュアは、人々の生活の中にある和太鼓を存分に演じて、
会場を盛り上げ、祭りの現場に人々を、案内して行くから、「音の芸術」
とは、こう言う事なのだと、感動させられる。 

鎮守の森やら、海辺の潮騒やらの中で、繰り広げられる「祭り」を感じさせてくれるのだ。

祭りの太鼓、喧嘩太鼓、祈りの太鼓、・・それぞれにリズムと音に命の躍動感がある。

力強くて、素晴らしい。 (元気の無い人、寄っといで〜・・!)

子供も、大人も、全身で、演奏して見せてくれる。

世界の平和と、人々の幸せを願って、演奏を依頼されると、事情の許す範囲で、出かけて行って、演奏するそうだ。 

(そうは、言っても、楽器が大きい上に、数が多いのだから、移動も大変ですよね! 移動専門の車でもあれば、良いけど・・)


子供チームのメンバーが、「戦争の無い、平和な世界が来る事を願って演奏している。」と挨拶した言葉には、一人の大人として、とても嬉しく感じた。 「日本の将来に、希望が持てる!」と。

次世代の若者たちに、精一杯頑張って、世界に平和をもたらして欲しい、暗いニュースは、もう沢山だ。

人類の平和共存の為に、和太鼓文化が、貢献できれば、素晴らしい事ではないか。 ドン、ドドーン、と、「音」 でつなぐ心と心だ。

堂々たる和太鼓の演奏は、心と体の元気を惜しみなく分け与えてくれた。

こんな素晴らしい感動と出会えるなんて・・・皆さんも、来年来てみませんか? 和太鼓と出会う為に!

そして、心から、感謝をする事を、思い出す為に!


陸前高田の皆さん、 出演者の皆さん、御苦労さまでした。 
本当にありがとうございました。
                       謝謝!


(来年をまた、楽しみにしている「和太鼓出羽の守」より)
19:02:22 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
感動をありがとうございます!
2007 / 10 / 21 ( Sun )

和太鼓フェスティバル前夜祭のお話

一ノ関から、陸前高田市までの、快速スーパードラゴンと言うのは、列車が走る線路が、ドラゴン(龍)の様にクネクネと、曲がりながら、走っているので、この様な名前が付けられたそうだ。

駅から、ホテルまで乗った、タクシーの運転手さんの説明である。
 
ホテルに向かう途中に、明日の全日本和太鼓フェスティバルの会場を見ながら、「ここの太鼓大会は、本当に素晴らしいのです。 私たちの誇りなんです。ようこそ、おいで下さいました。 明日はきっと、ご満足頂けると思います。」と、歓迎してくださったのも嬉しい限りだ。

町が一体となって、この大会を盛り上げている事を肌で感じる。

前夜祭の立食パーティーには、地域婦人会が、ボランティアで、岩手の海の幸、山の幸を使って、家庭料理を参加者の皆さんにふるまって下さった。 

毎年、ホテルからの料理に加えての家庭料理だから、県外から、参加している一般客には、珍しい物も多く、また、とても美味しかった。

特に県外からの参加者には、笑顔で、丁寧に料理の説明をしてくれるので、これが又、楽しい。

前夜祭の太鼓は、と言えば、これが、・・感動ものだ。

毎年来ているファンも多いらしいが、初めて参加する者も結構な数に上るのではないかと思われる。 リピーターが多くて、ホテルをチェックアウトする際に、来年の分を予約して行くらしい。

和太鼓。 至近距離で演奏を聴いていると、空気の震動が、ビンビン伝わって来る。

神社の太鼓、お寺の太鼓、養護学校の太鼓、地域の喧嘩太鼓・・・
それぞれに特徴があり、全身で、太鼓を打つ姿は、聴く者に感動を与えてくれる。

養護学校の生徒さん達が、指導者にリードされながら、一生懸命太鼓を打つ姿をみて、なぜか熱いものがこみ上げて来た。
(マスクをして居て良かったですよ。 目はウルウルして来るし・・・・)

また、長安寺の太鼓は、大勢で演奏しているにもかかわらず、太鼓の音にブレが無く、まるで、一人で演奏している様だ。
強く、柔らかく、本当に「祈りの太鼓」を思わせる。 会場の参加者全員が、アンコールをおねだりしたが、「だめ!」・・予定の時間が決まっているからかな?

喧嘩太鼓は、まるで、そこに神輿が喧嘩をしている事を想像させる程の迫力があり、これも素晴らしかった。

県外からの一般客は、地域の皆さんの暖かい「おもてなしの心」と、勇壮な和太鼓の心を打つ音色に感動している様子であった。

演奏者と聴衆の距離感が無く、この様に、ホテルのホールを利用しての前夜祭は、参加する全ての者を一つにしてくれるから、素晴らしい。

全身全霊で演じる和太鼓の音色は、みんなにパワーを惜しみなく分け与えてくれる。

「本当に素晴らしい!感動をありがとう!」

暗いニュースが多い今日、こんなに人々の輪を広げ、一体感を持たせてくれるものがあったのだ。

明日の本番が、楽しみだ。 「明日、また会場でお会いしましょう。」と、再会を誓って、今夜の参加者たちが、心からの、満足の笑顔で、帰路に着いたのは、午後九時過ぎ。

心が、元気を沢山頂いたので、体も元気になって来た様です。

やって来てよかった!

優しさと、元気をありがとう!   合掌。

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のびやかな旅を楽しもう
2007 / 10 / 20 ( Sat )

快速、スーパードラゴンで、陸前高田へ。

二両編成の、「快速スーパードラゴン」が、一ノ関駅を、発車した。

ここは、岩手県。  大宮から、一ノ関まで、各駅停車の新幹線でやって来た。 東北新幹線を利用するのは、随分久しぶりだ。

いつもは、高速道路で、すっ飛ばして走って来るのだが、今回は仕事の都合もあって、鉄道を利用する事にしたのだ。

昨夜まで、車で移動する事を考えていたので、残念ながら、JR東日本の運賃割引は、無い。

長野新幹線や、東海道新幹線は利用頻度が高いのだが、東北新幹線は、大体五年に一度くらいの利用頻度だ。 
だから、要領が悪い。

一ノ関で、乗り換えると言う事だから、各駅停車を利用する羽目になった訳。 

「やまびこ」には、自由席があるので、思いついた時に、乗車できるのが、便利だ。 指定席は、満席と言う事で、自由席で旅を楽しむしかない。  
20分後の八戸行き「はやて」が、八戸に着く時間の方が、我々が
本日の目的地、陸前高田に到着するよりも早い。


席を確保する為に、ホームに並ぶ必要があるため、昼ごはんの確保が、出来なかったのは、残念だ。 

様々な秋の味覚を詰め込んだ駅弁が、「食べてよー!」と言わんばかりに、ショウケースにずらりと、並べられているのを、チラリと横目でみながら・・・。

何しろ、今日は、「大船渡線」で、一ノ関から、陸前高田市まで、行く予定だから、先の長ーい旅を思うと、乗り遅れがあっては、ならないのだ。 
(土曜日のお昼時、 大宮駅の人ごみの中を、セカセカ、ひたすら、17番ホームに向かう。)

(この列車、仙台まで、二時間もかかるのだが、・・まあ、どこかで、昼食にありつけるでしょう)


一ノ関の駅は、大宮とは、ちがって、連絡通路の真ん中を、まっすぐ歩いても、ぶつかる人は、居ないので、気ままに歩いていられる。
人の行き来もまばらで、平和そのものだ。

セカセカと忙しく歩く都会の人々に比べて、たまに通行する人々の
表情は、穏やかだ。

こんなに、のんびりムードの駅があるのかと驚いてしまう。

この駅で、ローカル線に乗り換えるのだが、この列車、スーパードラゴンと言って、ものすごく速そうな列車に思えるが・・

岩手県は、大変大きい県で、四国よりも面積が広いらしいから、一ノ関から、太平洋に面している、陸前高田市まで、約二時間弱の時間がかかるのだ。 半日がかりで、移動して来るのだから、まるで、青森へ行く方が、近いと感じるのも無理のない話だ。 

でも、こんな中で、なんだか、ホッとするから、「私も田舎暮らしが向いているのかも知れないな。」等と、辺りの景色をぼんやりと見ながら、考えてみる。

二両編成の「快速スーパードラゴン」が、緑の間を縫って走って行く。

時々見える、道路には、走る車が、なかなか見られない。 これなら、かけっこをしても、ボール蹴りをして遊んでも、大丈夫だろうと思われるほどだ。 渓谷の間から、集落が見え隠れし、木々の葉っぱが、少し色づき始めている。

我らの乗っている電車が、ガタン、ドドド、ピチピチ、シュシュシュ、シャラシャラ、ピンポン、ピンポン、と聞きなれない珍しい音を発しながら、ガガガ・・・と集落の静けさを、かき消すように、走る。 

「これも、旅行の醍醐味よ!」と、揺れる電車に身を任せて、左右にユラユラ揺れながら、車窓の景色を楽しんでいる。

一ノ関の駅で、買って来た、お茶を時々口に含みながらの、のんびり旅行である。

こんな、旅は、もう随分久しく楽しんだ事がない。
(都会の、ゆとりの無い生活に慣れ過ぎたためかな?)

一日に9本しか来ない列車を待って、 自然の景観を愛でながら、のんびり、ゆっくり目的地へ移動する生活も、素晴らしいと思うのは、私だけかな?

夕日が、山かげに姿を隠し始めた田んぼでは、短くなって来た、午後のひと時を、慌ただしく農作業に専念している家族連れが見える。

東北の田舎の風景は、「ゆっくり、ゆっくり、で良いのだよ。 疲れない様にね。」と語りかけてくれる。 

本当は、厳しい自然との共生で、独特の生活があるはずだが、訪れて来る人々には、優しく接してくれる大自然の懐の温かさを感じながら、・・の癒しの旅に感謝!

明日は、陸前高田市で、全日本和太鼓フェスティバルが、開催される。

どの様な演奏が、見られるか、楽しみだ。

ちょっと、お腹も減って来たが、「心は、軽やか、ルンルン気分。」

緊張を解きほぐして、自然の中で、手足を伸ばして、鋭気を養う事も、心の健康管理には、必要な事だ。

穏やかな、気分になる。 優しい目で、辺りの景色を眺める。 
これって、忙しいばかりの生活の中では、得られない。

時々、こう言う旅をするのも悪くない。 合理的で、無駄のない生活からは、心のゆとりや、優しさは生まれて来ないと思いませんか?

少しずつ、元気を貰いながら、タイムスリップして、一昔前に戻ったような
気分である。 

東北の大地と、自然に、「ありがとう」、そして、穏やかな人々に乾杯!


予想以上の時間は、かかったが、今回は、車を使わなくて大正解だった。 時間を忘れて、鋭気を養っていこう。

岩手の皆さん!  「あリがとうございます!」

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里芋の黒焼き「かつら」 
2007 / 10 / 19 ( Fri )

情報のリレーに感謝!

テレビを見ていると、よく保険の宣伝を見る。 自動車保険、生命保険、火災保険、旅行傷害保険・・・フーン、そんな物まで、保険に加入するのかと、驚くほど種類は多く、分類も細かい。

こんな複雑な社会にだから、いろいろと、保障してもらう事も、必要になって来ると言う訳。 それも、細かく・・である。
イザと言う時の金銭保証も無視できないから。

保険が、病気を直接治してくれる訳では無いが、金銭面で、困らない様に備えるのである。

実際に期待通りの額を、速やかに受け取る事が出来るかどうかの議論は、この際、別として、保険に加入したことで、一応、加入者は、安心する。

サーカスで人気の、空中ブランコを、ご覧になった方は、多いと思うが、保険は、丁度、あのブランコの下の方に張られている、網の様な物だと筆者は思う。  例え、落下しなくても、イザと言う時に、有れば、安心なのだ。

だからと言って、保険にいくつも加入したから、怪我や、病気をしないと言う訳ではない。 依然として、「自己健康管理」が、必要なことには変わりないのである。

当然の事ながら、今日の医療費は、非常に高額であるから、時代のニーズとして、保険を賢く利用する事は、必要である。

要するに、制度としての保険を利用する事とは別に、一つしか無い大切な命を守ることのへ努力を、改めて、考え直してほしいと言う提言だ。

世の中に、保険金殺人などと言う、物騒な事もあるので、保険の功罪については、専門家の議論に委ねるとして、本日は、自分自身の為に出来る「自己健康管理法」を、考察してみようと言う事なのだ。


例えば、旅行中、急な体の変調をきたす場合や、怪我、など、チョイと知っていると、切り抜けられる小さな常識。 

朝食中に、お味噌汁を、膝にこぼしてしまった、とか、屋外で、ミツバチに刺された・・など、「お母さんの、腕前」を発揮する場面は結構多い筈だ。

(皆さんは、どんな事を実践しておられるのかな?) 

我々にとって、医療の専門家は大変心強い味方だ。 「いつでも病気から、助けてくれる。」存在なのだ。
 
もちろん、私の言う、医療の専門家とは、西洋医学の医師だけを言っているのではない。 鍼灸師も、整体師も、気功師も、その道の専門家全てを含めての、先生方なのだ。

しかし、病院の無い場所や、医療専門スタッフが、スタンドバイして居ない時など、不運な場合があるかも知れない。

医療の手の届かない場所などでは、、ウロウロするばかりだろう。

手の打ちようの無い時、もしかしたら、旅行中の電車の中や、山小屋でキャンプしている時などに、怪我や、病気に見舞われた時、知っていて、役立つ情報を仕入れて置く事も、決して、無駄なことではない筈である。

そう言う時の為にも、貪欲に情報を仕入れて置く事をおススメする。



さて、「ダサい」と笑われるかも知れないが、こんな事が、あった。
一つは、私の事、もう一つは、姉の話だ。

一つ目の出来事;
筆者が、まだ、小学生で、夏休み中の出来事である。

近所の同級生たちと遊びに興じていた時、私が、ミツバチに刺された事がある。 一瞬のミツバチとの接触だったので、「チクン」と痛みを感じた。 それだけの事であったが、段々と傷口が、腫れてきた。

これを、遠くから見ていた父が、「朝顔の葉っぱ」を両手で、揉み、その緑のジューシーになった葉っぱを、傷口に鮮やかな手つきで、擦り込んでくれた。 緑のジュースに濡れた父の手は、温かかった。

そして、持っていた、日本手ぬぐいの端っこを、チョイと割いて、包帯してくれたのだ。 立派な応急処置だ。 まるで、「魔法の手」ではないか! 
お陰様で、間もなく痛みは消え、遊びは、続行! 

(「陸軍士官学校では、こんな事まで、勉強したのかなあ?」と感心する)
が、本当は、祖母が、小作人の子供たちが、同じような目にあった時、応急処置をしていたので、それを見て、覚えたのだそうだ。
田舎では、よくある事だから。


二つ目の出来事;  (こちらの方は、ずっと深刻な話ですぞ!)
まだ、姉が、小さかった頃の話だ。

原因は不明なのだが、姉の頭にビッシリとに吹き出物が、出来た事があったらしい。 戦時中の事で、近所の医院には、医者は、出征兵士となり、不在。  医薬品も無い。

民間療法の研究に熱心な母も、日常そうそう出くわす病気では無いから、「お手上げ」 だったらしい。

気丈な母も、さすがに、この時ばかりは、姉が、「はげ頭になるだろう。」と不憫に思ったそうだ。 
(そりゃあ、女の子だし、出家した訳でもないのに、毛髪が、無いのは、可哀想でしょ。 アデランスも無かった頃だし・・・)

この状況を、見た父は、「祖母のお知恵拝借」とばかりに、早速ご近所の農家へ出向いて行って、里芋を少々分けて頂いて来た。

早速、きれいに洗って、竈に向かい、焼き芋を始めたらしい。 
サツマイモではなく、里芋の焼き芋だ。 

いぶかる家族を尻目に、せっせと、洗った里芋を網の上に載せる父。

当時は、食べ物を手に入れるのが、困難な、食糧難の時代だったから、
子供たちは、てんでに小さなお皿を抱えて、「里芋の焼き芋」が、焼き上がるのを、今か、今かと首を長くして待っていたそうだ。

間もなく里芋の黒焼きが焼き上がった。 

父は、子供たちの、小さなお皿の上に一切れの「焼き芋」を載せてくれるでもなく、それらを全部すり潰してしまった。
(子供らの、ガッカリした顔を、ご想像ください。)

それでは、と「団子でもこしらえてくれるのだろう。」 と固唾をのんで、
見守る、子供らの目の前で、大きく広げた和紙に、すり潰した糊状の里芋を張り付けた。

何が、出来上がるのかと思いきや、「時代劇のカツラ」みたいな,おかしな物を、姉の小さな頭に貼り付けたそうだ。 

あきれ顔で、事の成り行きを見ていた兄弟たちも、あわれな妹の、おかしな頭を眺めて、笑い転げたそうだ。

(きっと、自分たちの期待外れの感情も手伝ったのだろう。 残酷だな!)

頭に、「不思議なカツラ」をかぶせられた姉は、じっと我慢の子・・だ。

近所の子供達からは、口汚く、からかわれたそうだが、生来おとなしい性格の姉は、ただ、黙って、一つしか無い人形を抱いて、座っていたそうだ。

この時は、両親はきっと、こんな思いまでさせて、治らなかったら、娘が、可愛そうだと思ったに違いない。 しかし、他に手だてが無いから、やってみるしか無いのだ。 (忍・・、忍・・・!)

それから数日間は、毛根から、ジワジワと膿が出ていたが、何日かして、この「里芋かつら」が、自然に、ポッコリと取れたそうだ。

「ナ、何と、毛髪フサフサ、、頭皮は、しっかり、・・」 化膿していた跡形もなく、まるで、何も無かったかの様に、きれいな頭が現れたのだ!

悪夢のような、出来事との戦いは、やっと 「お し ま い。」
それで、この出来事はハッピーエンドと言う訳よ。

(幼い娘の為に、心を痛め、不安と、期待を抱えて、治療に当たった両親の、ホッと安堵した顔が、思い浮かぶようだ。)


私が、このエピソードを聞いた当時は、「薬の無い時代の人のする事だ。」 と、一つの物語の様に軽く受け止めていた。

だが、今思い返してみると、これらの情報は、大変な貴重な贈り物だった事に気付いている。

後遺症も無く、ひっかき傷さえ残さず、元の状態にきれいに回復していると言う事は、凄い事なのだ。 所々に、禿が残っていても仕方がないことなのに・・

古くから、生活の知恵として伝承されいるものの中に、こんな素晴らしいものがあったとは、・・・ 脱帽!

それに、これらの知識を惜しみなく駆使して、治療に当たってくれた両親に心から、感謝!

(感心ばかりして居ないで、私に出来る事は、何なのかなあ?)と私。
 

代々に伝えられて来た庶民の医療文化を大変貴重な遺産として正確に把握し、有難く受け取ることが、まず第一。

そして、「次の世代に手渡す。」 と言う「情報のリレー」に積極的に参加することが、私に出来る事なのかも知れない。

(ちょっと疲れる仕事だが、どこかで、誰かのお役に立てば、良い事だ。)
私に、手渡されたバトンを、落とさない様に、上手に手渡そう。

そう思いながら、「今の社会状況を踏まえた上で、さらに、役立つ情報を増やす努力を怠らない様にしよう」と、この小さなどんぐりも頑張っているところだ。

お役立ち情報は、多いほど、良いから。

そこで、皆様には、「保険に加入する」と言う、安心を買うと同時に、知っていて得する事を、勉強するように、お勧めします。

朝顔の葉っぱが、無い時、里芋が、見つからない時、それらに代わる代替品は無いものか・・? と研究しているのが、これからのお話です。

誰でも簡単に出来る、治療方法だから、楽しいですよ。
次回、それらの内の、覚えておいてほしい物の、いくつかをご紹介しよう。

では、今日は、ここまで。
今日一日の健康に感謝して、「ハイ、チーズ・・!」



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カラスも知的生き物
2007 / 10 / 18 ( Thu )
カラスの言い分。 ストレスを転じて、平和共存を図る方法はあるか?

今朝は、我が地区の生ゴミ収集日だ。
近所に生息するカラス達にとっては、大いに存在感をアピールするべき多忙な朝なのだ。

最近まで、カラスは、「カーカー」と鳴くものだと思い込んでいたが、どうも近頃は、「カーカー」と鳴くカラスは、ほとんど居ない様に思う。
 
「アー、アー」は、まだ可愛い方で、「グワー、グワー、ゲゲゲ、ゲゲ」などと、奇妙な鳴き方をするものが、多い。

(カラスもストレスで、あの様な、奇妙な鳴き方をするのかなあ? それとも、残飯に入っている、食品添加物のせいで、声帯が、変になったのかな?)


夏の間は、まだ夜が明けないうちから、近所の神社の高い木の枝から、「グワー、グワー、ゲゲゲ、ゲゲ」と、奇妙な発声練習を始めるから、目覚まし時計は要らない。 「クワ、クワ、クワ・・」と何かの合図なのか、言葉なのか、時々、遠くから聞こえて来るのも、面白い。

しかし、安眠妨害であることには違いない。


カラスは、とても賢い鳥だと聞いているが、悪さをする事においても、念が入っている様に思われる。

感心している場合ではないが、例えば、歩いている小さな子供をめがけて、くわえてきた小石を落としたり、登校中の中学生の頭上に、急降下しながら、糞を落としたり、・・笑い事では済まない被害が、少なくない。

生ゴミの収集日には、クチバシを巧みに使って、網を少しずらして、ゴミ袋の中を漁る。 必要な物以外は、辺りに散らかして行くから、収集車が、来るまでに、箒片手に、何度も、片付けなければならない。

片付けが終わった頃を見計らって、又、人をあざ笑う様に、同じ動作を、繰り返しては、近くの木の枝から、こちらの反応を観察しているから、
こちらもムキになって、又片づける。

辺りに散らかっている物をまとめ直し、また網をかけ直して、カラスと対峙することになる。 人間が、その辺りをウロウロ歩いていたり、片付けていたりしていても、カラスは、平気だ。 飛び去る様子もない。
 
地面に降りて来たカラスを、威嚇しても、涼しい顔して、ヒョイヒョイと持ち上げた足を、カカッと動かし、方向転換を図ったと思うと、至近距離まで近づいて来て、あの丸い目で、凝視するから、不気味だ。

(平和共存なんて、生易しいものではありませんよ! 「ナメンナよー!」ってこう言う時の為にある言葉でしょうかねえ?)

ご近所の奥様で、黄色の袋を使用する事を提案する方がいらっしゃった。 黄色だと、カラスが、悪さをしないそうだ。 何故だろう・・?

(生ゴミが、荒らされないのであれば、これは、試してみる価値は十分にあると思いませんか?)

町内会としても、生ゴミの収集場所を、荒らされるのは、頭の痛い話で、あの手、この手と会員一同の協力で、何とかしようと、頑張っている訳だが、・・

ゴミ収集車が、片付けて行った後、辺りは平和になると思いきや・・・・

今度は、カラス達の飛行訓練の時間だ。 アクロバット飛行の様な事を
平気でやってのける。

走って来る車の前を、超低空で、サッと横切り、飛んでゆく。 
悪質極まりない悪戯なのだ。「グワー、ケケケ・・・」だって!

運転している我々は、上空から、黒い物がサッと落ちて来るから、びっくりする。一瞬の予期せぬ出来事に、仰天し、どうしようかと、判断に迷ってしまう。 

時によっては、急ブレーキを踏むから、非常に危険なのだ。 後続車がいたら、追突事故を起しかねない。

運転手は、精一杯の注意を、地上に払って運転しているから、気まぐれカラスのアクロバット飛行など、予測して居ない。 (油断大敵だ。)
だから、こんな事態に遭遇すると、ドッと疲れる。

今朝の、被害者は、この私。 

先ほど、荷物を配達してくれた、宅急便のお姉さんも、被害者らしい。
「カラスが、頭の上に白い糞を大量に落としたので、困りました。
髪の毛は、白い糞で、べとべとになるし、服は汚れるし。 でも、大切なお客様の荷物の上では無かったので、良かったです。」と、こぼしていた。  (御苦労さまですね。 人間だったら、損害賠償ものです。)


人間サイドの都合だけで、ボヤイテいる私だが、カラスにも言い分があるのでしょう。 もし、カラスに文字が書ければ、抗議文など書いて、裁判所に 「それ」 を提出するかもね。

開発の波に押されて、都会の自然が段々と消えていく中、カラス達も生存権をかけて、人間に挑戦しているのかも知れないですね。

物言えぬカラス達から、人間への精一杯の抗議だとすれば、「厳しい顔して、カラス達を睨んでばかりいないで、もう少し、穏やかな目で、彼らを見てやろうか・・!」なんて、考えたり・・

「カラスのあかちゃん、 なぜなくの・・ コーケコッコのおばさんに・・・あーかいお帽子ほーしいよ、 あーかいお靴も ほーしいよ、と、カーア、カーアなーくのね・・・」
なんて歌っていた、子供の頃の美しい自然と、平和な風景が、懐かしく思い出される。 


人間だけが、この美しくかけがえの無い地球を、わがもの顔で、取り仕切っていて、良いのかなあ?

「健康で、長生き」 なんて、人間だけに許された特権だと考えるのは、人間の傲慢さでは無いでしょうか ?

こんな事を考えてみると、早朝の、カラスの奇妙なボイス トレーニング(発声練習)も、ストレスと感じず、同情心に変わるかも知れないですね。

どこか、見知らぬ国の、珍しい音楽だと思えば、心穏やかに過ごせるかな?

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オーラストーンの有効利用
2007 / 10 / 17 ( Wed )

喘息の発作を起こさない工夫

季節の変わり目だから、喘息の発作を起こす人が多いそうだ。

数年前、喘息の大発作で、市立病院に救急車で運ばれたのが、丁度この時期だった。 「1年間に6千人もの喘息患者が、発作で死亡する。」と、退院前の生活指導時に、担当の先生に伺った時には、もうビックリ仰天だ。

私も6千人のうちの一人になりかけていたのだ。 「九死に一生を得た。」とは、この事を言うのだろう。

喘息は、とにかく徹底した「自己管理」が大切なのだ。 
2度と同じ轍を踏まない様に、この時期、特に注意を払う努力が肝心だ。

そこで、昨夜から、喘息発作の予防と快眠を得るために、「お休みセット」に、新しいツールを加えてみた。


一つは、オーラストーン使用の、両肩用サポーター。 

半袖で、体の前後を丁度「鳩尾」あたりまで覆っている、本来は、肩や腕の痛い人用に開発されたサポーターらしい。

もう一つは、ネックウオーマー。  

肩から、首にかけての血行を改善し、喘息のツボを抑えてくれるので、試してみる価値は十分にある。 少しでも、薬を使う回数を減少させる工夫が必要なので、自分流、発作予防法を試してみる訳だ。

家族の内に、病人が出ると、本人は勿論だが、周囲の者も、大変なのだ。 そこで、私としては、「発作予防手段を最大限に講じる義務がある。」と常々感じているから、滑稽なほどに、試行錯誤を繰り返している。

(まあ、本格的な寒さが来る前の、工夫の一つかな?)

本日のテーマ「オーラストーン」については、すでにいろいろと商品が販売されているので、お試し済みの方々も大勢いらっしゃるだろう。

難しい事は、専門家の説明に委ねるとして、簡単に言えば、オーラストーンそのものは、深海の海底火山の噴火により、地球のマグマが噴出し、様々なミネラルを含んだ海水により、急激に冷却されて出来た火成岩だってサ。 

遠赤外線が大量に放射され、保温性、蓄熱性に優れ、天然の抗菌性、消臭性、抗カビ性に優れているらしいから、いろいろと、加工し、その特性を生かして、健康に役立つものを開発しているわけよ。 

一般に、遠赤効果が高い事で知られているブラックシリカ、やブラックトルマリンよりも、このオーラストーンは、遠赤外線放射率がさらに高いと言われている。 

(以前から、岩盤浴、遠赤浴でも一般に知られているらしいが、知らなかったのは、私だけかもね・・!)

福井県越前市に本社のあるこの会社では、これを素材として、「体が喜ぶ優れた製品」をいろいろと商品化し、頒布に努めて居られる様だ。

社長さんご自身が、創意工夫に大変熱心な方で、常に、ノートを持ち歩いて、何か閃いたり、思いついたりした時は、すぐに書きとめられると言う事を、東京ビッグサイトのイベントに出展された時に、話されていた。

(以前にも申しましたが、日本の、社長さん方は、本当に研究熱心ですねえ。 ご立派です!)

私が、初めて、こちらの製品と出会ったのは、このイベントの時である。

その後、原石や、フエルト、マット、や布団を始めとして、下着、小物類を購入して試用してみたが、工夫次第で、大変役立つ製品なので、以来、ずっと有効利用させて頂いている。


オーラ繊維は、夏場でも、保温性があるのに、ムシムシしない。 だから、とても快適で、 体に優しいと感じている。 

綿や、シルクとは、少し肌ざわりが異なるが、装着していると、スピーディーに体が、回復してくるから、有難い。

効き目が、早急に現れるから、結果が、短時間で分かるのである。
速効性が期待できると言う事だ。

先日、肩の人工骨挿入手術を余儀なくされた主人が、肩用サポーターを 愛用しているが、大変調子が良いらしい。 

クーラーの冷えから、肩を守ってくれるし、人工骨頭の入っている肩の動きも、装着前よりも改善されつつあるそうだ。 


そこで、喘息への応用は利かないものかと私も試してみた。 冷気による、急激な気管支の収縮を抑えるために。
(「溺れる者は、藁をも攫む」の心境ですよ。ハイ!)

これが、ナント、期待以上の、大きな花マルなのだ。 

胸の部分を、私用に改良して、冷気を遮断する工夫を加える。
胸の部分の広い開口部を、鳩時計の扉の様に閉じる仕掛けを装備して、喘息用に使い始めた両肩用サポーター。 

背中、肩、胸を同時に保温する事によって、遠赤効果で、呼吸が楽なのだ。  予想以上の深い眠りが得られる。 
(仕掛けは、成功だあ〜!)

この変造サポーターを装着して、間もなく「胸が楽だな!」と感じるから、その即効性には驚き・・である。 気持ちが良いから、きっと、風邪の症状の方々にも心地良く利用できるだろうと思われる。

これが、一つ目の追加ツールである。

二つ目のツールは、遠赤ネックウオーマー。

写真で見ると、窮屈そうなのだが、予想に反して、きつくない。
ゆったりとして居て、首筋、から、凝りを取ってくれる。 喉にある喘息のツボも遠赤で刺激するから、これも期待を裏切らない頼もしい、逸品だ。 (本物に出会うと、嬉しいものですねえ。)

(「きつくないでしょうか?」との電話の問い合わせに、「ダーイジョウブ、大丈夫ですよ。 小さいと感じたら、少し引っ張ると簡単に伸びますから。」と明るく答えて下さったのは、御曹司の太一郎氏。)

「少し引っ張っても、又元に戻って、きついかもよ・・?喉を締められる七面鳥みたいな思いをするのは嫌だなあ・・」と実物が届くまで、多少の不安は払拭し切れない。

だが、届いた商品は、スーパーや、小売店で、今までに見たような
物ではなかった。 ご説明頂いた通り、大丈夫だった。 ゆったりと使用できる。 「心配ご無用!」と言う訳。
 
「喉を締められる七面鳥」を体験しないで済んだのだ。 
(ラッキーだな。!普段の行いが良いからかなあ・・?) 

就寝前の、リングによる末梢治療を一通り行った後、これらニューフェイスを加えて、「お休みセット」を全て装着し、寝床に入る。

「ン?昨夜より、調子良いねえ・・オルゴンリングとの相性も抜群だ。」
(今晩は、良く眠れそうだ!)

「これなら、きっと、肩の痛いリウマチの姉にも、有効だろうなあ。」
等とぼんやり考えているうちに、朝まで、ぐっすり・・・

久しぶりに、快眠を得られた。 発作も無く、呼吸も楽だ。 
薬品で、症状を抑えているのとは、体の反応が、まるで違う。

(ずっと、こんな状態が続いてくれると嬉しいんだけどな〜。)
(「NHK深夜放送」とは、この辺で、もうお別れしたいしね。)


夜中に、起こされないって、こんなに楽な事なのですね。
随分久しく、この感覚、忘れていました。

今夜も「お休みセット」を忘れずに!! 自分流の工夫有るのみです。 
ゴソ、ゴソ・・ゴソ、ゴソ・・・と。

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寒さに向かう体の準備を!
2007 / 10 / 16 ( Tue )
本格的な、寒さがやってくる前に、やるべき事は?

今朝の寒さは、この秋一番の寒さだったらしい。

いつもの調子で肩を出して寝ていると、何となく肩口から冷える。

寒さがポンと、小さく肩を叩いて「ボク、寒さ小僧だよ。間もなくボクの季節だよ!」と挨拶して行ったようだ。

(あー、秋が、深まって来たから、ボンヤリして居ないで、冬に向けての、体の準備を、本格的に整えなければなあ・・!)

間もなく、暖かーい布団の中から、出て来るのが、「イヤだなあ・・。」と起床時間を知らせる時計を、恨めしく思う季節がやって来るのだ。

猛暑の夏には、暑さ対策にアクセクしていたのだが、やっと、心地よい秋風と共に、体が、ホッとしているので、「寒さに向けての体力作り」と言う
次の宿題をすっかり忘れていた。

病院では、「インフルエンザ予防接種のお知らせ」を掲示している訳だから、我々も、今から冬向けの、臨戦態勢にはいって、ちょうど良いタイミングなのだろう。

体が、まだ、「暑さボケ」から解放されていないので、寒さへのギアーチェンジを図ることが、まず、やるべき事だろうと考えた私は、早速今朝から、柔軟体操を実行し始めた。

体が、寒さと共に段々と固くなるから、その為のウォーミングアップだ。
関節を特に丁寧にやる。 そして、末梢のケアー。

それに、体温より少し暖かめの水を、補給する事も大切だ。

何でもないことの様だが、意識して、基礎体力をあげる工夫を、しばらく続けようと思っている。 

胃腸を大切に。 体を冷やさない様に。 代謝を良くする様に。
小さな事だが、自分でやるべき事は、こまめに実行して、継続する事だ。

そして、何よりも気を付けるべき事は、「心のケアー」である。

人間の体は、心の動きに連動して反応するから、例えば、嫌な事があると、食欲がない。 悪いニュースに遭遇すると、ドッと体が疲れる。
悲しい事があると、眠れないなど・・ の症状が現れて来る。

逆に嬉しい事や、楽しい事があると、食欲が出たり、やる気になったり、
普段以上の力を発揮出来たりするものだ。

近年、ノイローゼや、うつ病が年代を問わず、また、職業に関係無く増え続けているようだ。 

心療内科や、精神科の患者数が増大している事は、大きな社会問題だが、「自分流、レラックス療法と言う方法は、無いものなのかなあ?」と模索する。

裁判所に訴訟を持ち込む件数も年々増え続けているし、・・学校の先生たちは、父兄から訴えられたときの為の準備として、訴訟費用に関する「保険」に入ったりする時代なのだ。 

話し合って、問題を解決する能力に欠けるのか、昔の様に円満に物事を治めて行く様な、社会的なリーダーの存在も見られなくなりつつある。

だから、心が、ホッと休まる間がない。

自然の中で、のんびり心と体を緊張から解きほぐす作業を、生活のリズム作りに取り入れてはどうだろうか。 

カラオケでも良いし、森林浴も、温泉療法も、気の合う仲間と、旅行を楽しむのもお勧めだ。 自分だけの「心の柔軟剤」を持ち合わせる事は、イザと言う時に役立つはずだ。

「風邪をひいた・・どうしよう・・」と、うろたえる前に、原因を究明し、日常生活の中で、それらを改善する様、一つ、一つ実行しながら、風邪に対処する姿勢と努力を、育む事が大事だ。 

十分休養を取ることから、バランスの良い食事、適度な運動など、自分で出来ることは、医者任せではなく、自分でやろう!

今日から、冬に向けての心と体の準備をしよう。
本当の意味で、病気に打ち勝てる免疫力を養えるのは、私たち自身の努力にかかっている。

(少しだけ、多めの「体のお手入れ」を心掛けて、無理なく継続する事で、体力は向上しますよ。) 

何でも出来る、丈夫な体を作りたいですからね。
自分自身の為に、自分を信じてやってみる事です。
 
さあ、やり始めてみましょう! 「寒さへの準備プラン実行」を。



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健康あっての小旅行
2007 / 10 / 15 ( Mon )

藤沢までの小さな旅

家々の塀沿いに歩いて行くと、地面に沢山の細かいオレンジ色の花が、落ちている。 良く見ると、金木犀の花だ。 辺りに甘い香りを漂わせて、「秋ですよ!」と優しく語りかけて来る。

今日は、神奈川県藤沢市までの、ちょっとした小旅行である。

朝の天気予報では、関東地方は、夕方まで、雨は降らないと言う事だったので、思い切って、出かける事にした。

一年に何回か、喘息のチェックを受けるために出かけて行く事にしている。

普段は、ほとんど電車に乗ることも無く、愛車で、走るのが、当たり前になっている私には、電車に乗るのは、ちょっと億劫なのだが・・。

だから、時期が来ると、大抵1〜2週間は予定よりも後にずれてしまう。
何とか、自分に言い訳をして、出かけない算段をするのが、いつもの癖。

だってさ、荷物は持たなければならないし、ぼんやりもしていられない。 
スイカの残高チェックは勿論のこと、どの電車に乗って、どこで乗り換えるのが、最も合理的か調べる必要もある。

それに、最も気を使うのは、「喘息の発作を起こさないこと」への細心の注意だ。 エアコンの冷風には、要注意だし、温度差の調整が難しい。

涼しい日でも、クーラーを使っているバスがあったりするので、マスクや、スカーフは、必ず、ハンドバッグに忍ばせて置く配慮を忘れてはいけない。 小さなペットボトルの、水も携帯する必要があるのだ。

こんな事を、考えていると結局、出不精になってしまう。
(車だったら、ぜーんぶ、積んで行けるのですぞ!)

落ちている、金木犀の花を踏んでバス停に向かう気持ちも、さえない。

(まあ、いいか! 雨が落ちて来ないだけ、ましだわ!)

湘南ラインに乗って、新宿、渋谷、経由で大船まで行く。 
昼下がりの新宿や渋谷の駅は、静かだ。 ホームに居る人間の数が、少ない。 向こう側のホームがまばらな人の間から見渡せるのだから、通勤ラッシュの時間帯では、とても考えられないことなのだ。

乗客も多くないので、座って、数独(ナンプレ)に興じて居る間に、大船だ。 鎌倉に行く訳ではないので、ここで、藤沢までの一駅を東海道線に乗り換える。 主婦や、高齢者が、この時間帯には多く見られる。

藤沢の駅から、徒歩で約5分の所に病院がある。 

予定の時間に到着。 受付を済ませて待つ事1時間半。 

病院が繁盛すると言う事は、病人が多いと言う事だ。 入口には、「インフルエンザの予防接種予約受付中」の張り紙がしてある。
3800円で、感染しないのなら安いものだが、・・・

インフルエンザが、今年も猛威をふるう時期が、そこまでやって来ていると言う事だから、病弱な者にとっては、猛暑が去ったと思えば、もう次の辛い季節が、待ち構えていることになる。

やはり、病気に負けない免疫力を養う自助努力は、欠かせない。
日々の自己健康管理が、大切なのだ。 予防接種がオールマイティーでは無いのだから。

一通りの診察を受け、必要な薬の処方戔を貰って、帰路に就く。

これで、今日の旅行の半分が終わりだ。 「さて、帰りは、乗り換えを嫌わず、遠くへ旅しているつもりで、気軽に世間を観察しながら、帰ろう。」

東海道線で、東京駅へ。 この電車の中で、スカートをはき替える、器用な女子高校生に出くわした。 これからアルバイトに出かけるのかな?
疲れ果てた様子で、ぐっすり寝込んでいる若者たちの姿は、何を意味しているのだろう? わりと元気そうなのは、お年寄り・・

京浜東北線と、高崎線に乗り継いで、最寄りの駅に到着するまで、喘息の発作も起きず、まずまずの小旅行だった。

それにしても、東京駅で販売していた駅弁は、美味しそうだった。 傍に並べて販売しているふかふかの、中華まんじゅうは、いかにも「食べごろですよ。」と言わんばかりの蒸し上がりだった。

(やはり、あの時、買って来るべきだったかな? 残念!)

夕刻の、ラッシュアワーが近づいているからか、どこの駅も人出が多い。
大勢のエネルギーが渦巻いている様だ。

あんまり、出不精を決め込まないで、また、出かけてみよう。 世の中の面白い出来事にも遭遇するだろうし、社会の動きに敏感に対応できる能力が養われる筈だ。

頭を刺激し、活力を養う事も、大切だ。

書物から多くの物を学ぶことは可能だが、人々の営みの中から学ぶこと
も生きた社会勉強だと言えるだろう。

ちょっと不安を抱えての小旅行だったが、頭と心は、リフレッシュされた。
良き一日だった。

無事に、有意義な一日を過ごせた事に、感謝だ。 
今日共に電車に乗り合わせた多くの方々が、幸せであります様に!

19:02:27 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
健康回復ツールを作ろう。
2007 / 10 / 14 ( Sun )
「お休みセット」は、自分用に特製で。

最近、「一日の、疲れを残さない為の工夫」を、私流「お休みセット」と称して、アレコレその日の体調に応じて、装着する様にしている。

この工夫をする事によって、、良質の睡眠が取れ、翌朝の目覚めが良いのである。 

いろいろと自分の体に有益な小物作りをするのが、楽しみの一つとなるまでに、随分、あちらこちらの商品を探し求めて、試用してみたものだ。



市販されている物の中には、説明書にうたわれている文言通りの効用が得られる物ばかりとは、限らない。 だから、納得するまで、自分で、試してみるしか無いのだ。

サイズが、合わない物や、用途に応じた装着が、出来ない物などもあったり、・・と、自分にとって、有用だと思える物に辿りつくまでに、結構な経費がかかるのは、誰もが、経験済みであろうと思う。

私の場合は、納得いくまで、使ってみて、ダメな部分は、自分用に改善してみる。 もちろん、できる物についてのみであるが。 

極力手を加えて、使い易い物に改善し、何度か装着してみるのだ。
(言うまでも無く、手間も、お金もかかりますよ。それに、忍耐が要ります。)

商品を、販売する企業側としては、大量生産による、大量販売と言う事であろうから、「概ね、良かろう。」と言う辺りで、手を打つ事になるのだろう。 企業経営の点から考えると理解できる話だ。 

しかし、販売する側の「売りたい物」と、購入する側の、「欲しい物」との
落差が大きい場合が購入者の側には、問題になるのである。

特に、着るもの、身に着けるものについては、改良を加える事は可能だが、 (それを実行するか、出来るかは又別の問題ですよ。)難しい。

だから、販売されている物が、こちらの期待通りか、それ以上のものである時、とても幸せな気分になる。
「何て、今日は良い日なんだ・・大安吉日かな?」なんて思うくらいだ。

しかし、それでも、期待する効果の得られない物は、自分で全く異質の素材を入手して、創作するしかない。

結局、私の場合、いろいろ試してみた結果、「お休みセット」は、「自分の手で、納得いく物を作ろう。」と言う事になった。 

(特に、健康装具ですから、妥協は許されません。 たゆまぬ研究と工夫あるのみですぞ!)

素材を、先ず、探しもとめる。 そして、改善に改善を加えて、試着し、その成果を観察する。 もちろん素人だから、数字によるデータなどは無い。 あるのは、体の反応のみ。

痒くはないか。 きつくはないか。 一晩眠った後の爽快感はあるか。
装着した方が、しなかったよりもずっと楽か?

足は、暖かいか? 手は暖かいか? 唇の色はどうか?
目は楽か? 頭はスッキリしているか? など面倒臭そうに思えるが、細かく観察する事が重荷に感じないのが不思議だ。 

きっと、自分特製の製品だからかも知れない。 それに毎日頑張る体への感謝と、ご褒美のつもりだから、負担に感じないのだ。

介護の仕事をしている知人が、こんな事をボヤイテいた事がある。

「歩行中の患者さんの脛に力が入らないので、膝サポーターを探したけれど、市販のものは、ダメだったのよ。 どこかで、素材を手に入れて、歩き易い形の物を作って上げないとダメだわ・・」と。

「目的に応じた有効な物は、作るしかない。」と言う結論に達した様であるが、私も「全く同感だな。」と妙に納得した。

それからである。 私の「お休みセット」創作に拍車がかかったのは。

手間も、経費もかかるが、自分にとって最高のものが、出来た時の感動は、一入である。 (やったー!自分用の一点物よ。)

現在、素材としては、自然体で、体に優しいから、麻、木綿、EМ繊維、・・などを用い、染料は、藍染を選択している。 
オーラフエルトも得られる効果からすると、無視できない、主役的存在であると実感している。 オーラストーン素材は、手術後の冷えには、文句無しの素材だと好評である。


とにかく、目の為、頭の為、手の為、・・と何でも必要と思われる物を
自分用に作って試してみるのが肝心だ。 どんな有用な物が、出来上がるかは、作ってみてのお楽しみ!


眠っている間に、健康回復を図るための小物類であるから、就寝前の「本日の健康度チェック」は、欠かせない。

「お休みセット」の効果の程が、楽しみ、楽しみ・・

明朝は、「お目覚めスッキリ」 だな。!
こんな仕掛けがあるなんて・・ と、秘かに自己満足に浸っているこの頃
です。 

19:55:59 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
種まく人々
2007 / 10 / 13 ( Sat )

ポケットの中の魔法の種。

危険なこと、恐ろしいこと、悲しいこと、腹立たしいことなどは、いつの時代にも、あるものだ。 認めたくない事ではあるが、それが、善意の行為の結果として、表れて来る場合も多々ある。

企業戦士達が、自己の所属する会社の為に、精一杯働いた結果、再帰不能の病に倒れたり、奉仕活動中に事件に巻き込まれて、命を落としたり、数え上げれば、数限りない。

マスコミに報道されるニュースの中に、心がホッとするものや、パッと社会が明るくなるものが、多くないのも現代の社会風潮を如実に表しているとは、言えないだろうか?

けれども、庶民の生活の中で、スポットライトの当たらない部分を、注意深く観察してみると、案外素敵なお話がアチラ、コチラで、見え隠れしているものだ。

家庭の中で、職場で、サークル活動の場で、・・注意深く目を凝らしてみると、少しずつ見えて来る。 耳を澄まして聴いてみると、段々と聞こえて来る。

「善なる種」を、せっせと、まき続ける人々の小さな姿が、・・かすかな物音が・・!

私たちの身近な所で、何と!こんなにも多くの「善なる種をまく人々」が、居る事か・・!と、徐々に気が付いてくる。

いつだったか、「民法」の講義を担当していた、その道では、名の知れた弁護士の先生が、授業の合間に、こんな事を仰っていた。

「我以外は、皆師。」です。 「自分以外の、存在する全てのものから、多くの事を学ぶことが、大切なことなのです。 
書物から学ぶことばかりが、勉強ではありません。 今後、法律に携わる者は、特に謙虚に、この事を 肝に銘じておいて下さい。」と力説されたのだ。

この教えは、民法のどの条文よりも、私の心に深く残っている。 特に心理学や、哲学の授業では無いので、新鮮に感じたのかも知れない。

「我以外は、皆師」であるから、当然、毎日多くの「師」に出会っている訳であるが、残念な事に、不注意によって、ぼんやりと見逃すことが、多い。 

だが、これは、見逃したくないお話である。
 
先日、久しぶりにお電話頂いた、名古屋の「あしぴた」の考案者の社長さんの心打つお話をしよう。

この方には、以前、1100足もの「あしぴた」を、四国88か所をお参りするお遍路さま方に、お接待として頂いている。
(このお話は、後日に廻して置く事にする。)

しばらくご無沙汰して居た訳だが、先月、脊椎狭窄症で、入院、手術をされたそうだ。 

ご本人の仰るには、「寝たっきりの家内が、困りますので、元気になってやらないと、いけません。 病院を探し回って、やっと見つかりましたので、思い切って手術をしました。」と言う事だ。

「家内を手助けする必要がありますので、どうしても頑張らないとね。
今年、私たちは、金婚式を迎えたんです。」と付け加えられた。

人間関係の希薄になって来ている今の社会では、親殺し、子殺し、夫婦殺し、弟子殺し、・・など命の重みが無くなって来つつある。

「要らなくなったら捨てる。」しかも平然とである。

こんな事がまかり通る世の中で、このご夫婦の二人三脚ぶりには、頭の下がる思いである。 
「あしぴた」を考案されたのも、奥さまを、「歩かせてやりたい。」と言う強い願望から始まったことだそうだ。

奥さまの長い闘病生活の中で、育まれてきた「慈愛の心」とは、まさに御二人にとっては、「利他行」そのものなのだ。 

御二人の「二人三脚」のあり様には、多くの事を教えられる。
この話を聞いた、私の善き仲間達は、「深く感動しますが、なかなか実行の出来る事では有りません。」と溜息混じりに呟くのだ。
 
ご夫婦揃って、「感動」と「奉仕」と言う種を、蒔いていらっしゃることが御二人の、社会奉仕のあり方であり、生きる事そのものだろう。 (素晴らしいですねえ・・!)

どんな環境にあっても、人間は、見えない所で、誰かの役に立つ事が出来ると言う事を、実践して見せてくれるのが、嬉しい。
 
「ありがとうございます。」と素直に言えるのも、「感謝」と言う種のお陰だと思う。

この頃、いろいろな事に遭遇して、私は、ふとこんな事を考えたりする。

人は、誰もが、大きなポケットを持っていて、そこには、いろいろな形と色をした小さな種が沢山詰まっているのだろう。 
「親切の種」、「元気の出る種」、「笑いの種」・・・

その種は、一生かかって播いてゆくだけの量がはいっているが、全てを蒔き終わる人と、ほとんどを、残してしまう人がいる。

一つ一つの種には、名前が付いていて、それぞれに、可愛らしい花が咲き、いつにか、それらが、実を結ぶ。

大きく育つもの、道端に、こじんまりと咲く花、・・・ 蒔かれた種は、ずーっと後になってしか芽の出ない物もある。

発芽を見ないまま、我々の人生が幕を閉じるかも知れないが、蒔かないよりはずっとましなのだ。 

「蒔かない種は生えない」から、とにかくポケットの中の種は、全て、せっせ、せっせと蒔いてしまおう。

難しく考える事はないのだ。 ポケットの中の「善なる種」をばら撒いてしまえば、良いのだから。 

「ありがとう」の心でばら撒けば、「ありがとう」の魔法の力で、世の中に、感謝と微笑みの輪が広がるだろう。

世間の、理不尽さを嘆いて、悲しんでいるよりも、ポケットに持ち合わせている「善なる種」の事を、思い出してみよう。 

そして、さあ、蒔きましょう!

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命を預ける愛車のチェック
2007 / 10 / 12 ( Fri )
車のケアーも、体のケアーと同じ事。

昨日から、ちょっと気になる事がある。 我が、愛車の奇妙な雑音である。

普段は、静かに走っていたのだが、2〜3日前から、ブレーキを踏むと、ゲ、ゲ、ゲゲーと奇妙な雑音が、前輪の下の方から聞こえて来るのだ。
(おかしいなー。何だろうこの音? 大事に走っているに、何が気に要らないの?)

今まで乗って来たどの車も、大体一年に2万キロのペースで走っているから、エンジン音の異常には敏感な方だと思っているが、今回の音は、やはりおかしい・・・

すいすいと走っている時は、とても調子良く、静かに走っているが、スピードを落として、ブレーキを踏むと、ダメなのである。 長い運転歴の中でこんな音を聞くのは、初めてだ。 原因が分らないから、不安を払拭し切れない。

「命を預ける愛車だから、やっぱり、ホンダへ持って行こう。 今日、先ずやるべき事は、車のチェックだ。」 と行動を起こしながら、ふと、あの時の珍事件を思い出す。


あの時の珍事件とは、・・・
(それは、それは、恥ずかしい出来事だったのですぞ。)


以前、弟の愛車が、原因不明のトラブルで、クラクションが正常に働かなくなった事があった。

あの時は、とてもひどい状態だった。
弟が運転していたのだが、ハンドルを少しでも左右に動かすとバ、バアー、バ、バアーと大音響を発するのである。
(これでは、どこも走れないではないか! 隣に座っているのも恥ずかしいや!)

ハンドルが、左右に動く度にバ、バアーだから、周囲の人たちが、こちらを振りかえる。 若い女学生たちは、顔を赤くして、チラチラと弟を見る始末なのだ。

なにせ、高校生たちの下校の時間帯だから、顔見知りの近所の女学生も沢山いるわけだ。 

「あれー、たかちゃんは、あんたに気があるんだわ!あんなにクラクション鳴らしちゃって、・・・手でも振ってあげたらわ?」 とこうだから、たまらない。

運転手の弟は?と見れば、こちらも又顔を真っ赤にしながら、なるべくクラクションを鳴らさない様にソロソロ走っている。 
別に、女学生に気がある訳ではないからだ。

そんな時に限ってバ、バアーと、お構いなしのうるさい音が出るから、女学生たちは、よけいにはやし立てる。

「そんなに鳴らさなくても、 あんたの気持は良ーく分ったからさ!」だって。 

バ、バアーの原因を知っている私には、全てが滑稽に見える。
大声で、笑いたい心境だが、そうも行くまい。

その時の、トヨタ自動車までの道のりは、果てしなく遠く感じられた。 

そうだ、「あの時よりは、大音響がしないだけ随分ましだわ。だけど、原因不明の分だけは、気持ちが悪いな。 ホンダまで、乗って行って大丈夫だろうか?「車取りに来てもらおうか?」と、心配になってくる。

結局、家事を後廻しにして、ホンダのサービスセンターまで、自力で運転して行った。 ブレーキの度に、ゲ、ゲ、ゲエーと雑音がする。 

ブレーキパットが、摩耗してくると、雑音を発する様になるそうだ。

「特別手荒な運転をした訳ではありませんよね?」と、整備士のお兄さんが、尋ねる。 ブレーキを良く使う人は、2万キロでも、ブレーキパットは、摩耗してしまうらしい。

私は、若者の様に威勢よく、急ブレーキをかけて喜んだりする趣味は無いので、思い当たる節はない。

2種免許所持者らしく、車に無理のない運転をしている事には自信がある。 大事な愛車なのだし・・・・なーんで?

(まあ、人間で言えば、原因不明の腹痛みたいなものかなあ?)

とにかく、修理して貰わなければ、安心できない。

それから、温かい紅茶を頂きながら、待つ事約20分。

タイヤを取り外して、ブレーキパットを、点検し終わったお兄さんが、ニコニコしながら、ロビーに入って来た。

手にしているのは、親指より少し大きめの黒っぽい石だ。

「お待たせしました。 これが、ブレーキパットに、ささっていた小石です。 ブレーキパット自体は、正常です。 修理は終わりました。」と、さわやかな笑顔で説明してくれる。

無料で、点検修理して頂いた上に、美味しい紅茶をサービスしてくれるなんて、有難いことだ。 それに何よりも、笑顔の対応が、嬉しい。

来るときの、不安は一掃され、心地よい気分で、愛車のハンドルを握る私。 調子は、上々、エンジン音も軽やかだ。

みなさん、命を預ける大切な車は、しっかりと管理しましょう。
自己健康管理と同じですよ。






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臭みも愛嬌のうち。
2007 / 10 / 11 ( Thu )
銀杏のシーズン到来です。

近所の、神社の境内にある、大きなイチョウの木に、今年も銀杏がたくさんなっている。 少し離れた場所からも、 葉っぱは、まだ、グリーンだが、鈴なりになっている、黄色っぽい実が、よく見える。 (秋だねえ。)

後、しばらくすると、近所の通りがかりの人たちが、小さなビニール袋を提げてこの実を拾って行く、のどかな景色が見られるのだ。

銀杏は、地面に落ちて、異臭を放つので、落ちた物を拾ってくれるのは、大変有難い。

昔から、銀杏は、目に良い食べ物として、珍重されたらしい。 

最近、目に良い食べ物としては、ブルーベリーが、広く一般に知られているところだ。 アントシアニンが効くのかな?

これは、ジャムや、飲み物として、販売されており、季節になると、生食出来る様に、スーパーや、ファミリーレストランで入手できる。 簡単に、美味しく食べられるので、人気の高い商品でもある。

しかし、目に良いと言っても、銀杏は、そうは行かない。一度にあまりたくさん食べられないし、生で食べる事も出来ない。
第一、拾って来て食べる迄に、相当の手間が、かかりそうだ。 それに加えて、あの独特の異臭だ。

おでんに入れて煮たり、銀杏ご飯にするには、少量で済む。スーパーで、袋入りの物を買ってくれば、十分に足りるので、筆者は、銀杏拾いには例年参加しない。 

ところが、ある年のことである。
青森から、貰って来た銀杏を、持て余していた私に、友人が「拾って来た銀杏は、地中に埋めて、外側の実の部分が腐るのを待つのよ。」と、いかにも「大変だ」と言う表情で、指南してくれた。

(地中に埋めて実の部分を腐らせるなんて、大変じゃない・・!それにこんなに沢山どうするの?)

大抵の事には、快く賛成してくれる彼女が、今回は、私の 「半分こにしようよ。」と言う提案を受けてくれない。
絶対に「ノー!」だと言うのだ。 

半分貰ってくれれば、大助かりなのに、「こんな面倒臭い事する位なら、食べない方が、幸せ・・」なんだってサ・・・

だからと言って、せっかく頂いたものを、「どうしようか?」と、私は途方にくれてしまったのだ。 (こんなに沢山、どこに埋めて置くの? 場所が無いじゃん。)

ところが、考えているうちに、異臭が、日を追って、強くなって来るではないか! 通学する子供たちまで、「これ、何の臭い?」といぶかしげに、
我が家を見まわす始末だ。 (困った、困った、アー、困った・・) 

挙句の果てに、「あー、銀杏が、ずっと木にしがみついて居てくれれば、こんな事にならないのにな〜。 それに、あの時、「銀杏は、要らないよ。」と、明確な意思表示をしなかった自分に責任がある。」と自責の念に駆られる始末だ。

考えに、考えた末に、面白い妙案を思い付く。 「やるっきゃないから、とにかく試してみよう。」と、新聞と、大きなポリ袋で、地中に埋める代わりの作業に取り掛かった。

先ず、濡らした新聞紙で、銀杏を何重にも包み、大きなポリ袋に入れて、しっかり口を閉める。
 
次に、周囲に異臭が漂わないのを確認して、琵琶の木の根元に転がして置く。

ずいぶん長い間、屋外に出しておいた。 

ポリ袋の中味が、ブヨブヨして来た頃を見計らって、袋を開けてみた。 

何と!!  臭いも無い!!
外側の実だけが、腐って種の部分は、しっかりとして白っぽい顔だけが、こちらを向いて笑っているではないか・・! 「さあ、召し上がれ!」と言わんばかりに。 (成功だ! ウッシッシッシ〜 捨てなくて良かったあ)

ダメ元で、試してみたのだが、この方法は、大成功だった。

あの臭みと闘う必要が無く、腐ってドロドロしている実を流水で洗い流して、中の種の部分を取り出すだけで、作業はおしまい。

とても簡単で、臭くないのが、大助かりだ。 

後は、保存する為に、お日さまと相談で、ベランダに、良く乾くまで、何日間か干すのみ。 短い冬の日差しが有難かった。

それから、約1年間、我が家の食卓に、この銀杏が度々登場してきた。
工夫した分だけ、味わいが深い。

疲れ目に良く効くと言う事で、有難く頂戴した事は言うまでもない。

「やっぱり、銀杏は、木から落ちて来てもいいよ!」と、勝手なことを考えながら、我が、妙案に自画自賛する。

どなたか、こんな方法試してみませんか?
美味しい銀杏が、沢山たべられますけど・・・・・!




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創意工夫は、誰の為?
2007 / 10 / 10 ( Wed )
自分の生活に合った物を作る工夫をしよう。

日常生活の中で、生活の利便性を追及し、質を向上させるためにも創意工夫をする事は、必要なことである。

既製の洋服に一手間加えて、着やすくしたり、ちょっとした刺繍を加えたり、ボタンを取り替えてみたりしても、かなり変わった自分だけの物ができる。

デザインから、縫い上げるまでを、自分でする事は、思いつきが悪いが、小さな事に「一手間」かける位なら、面白がりながら、やってみるのも、楽しいものだ。

何事も、楽しくやることが、狙いであるから、ストレスになりそうな事は、止めておくのが、賢い選択だ。

筆者の友人で、プロのデザイナーの洋服を縫う、腕の良い「お母さん」が居た。 子育ての最中には、私たち周囲の者の為に、その腕を大いに役立ててくれた、有難い存在だった。l

一枚の布が、目の前で、立体的な洋服に作り上げられていく様子を、眺めているだけで、楽しかった。 「プロとは、こう言う人の事を言うのだろう!」としきりに感心していた事を昨日の事の様に思いだす。

使っている道具が、体の一部の様に動く様は、オドロキの一言に尽きる。 (同じ二本の手でも、こちら様のは、まるで、魔法の手だ。)

出来あがった作品は、温かさがある。

彼女の口癖は、「自分の着る物は、自分で作るのが、一番着やすい。」だった。

世界中でたった一点しか無い、自分だけの洋服だから、同じものを着ている人に出会わないのも良い。

出来あがった作品をプレゼントされる時は、心が躍るから、不思議だ。
精魂込めて作られた物がまるで、生きている様に感じられるのだ。

「将来、子育てが、終わったら、高齢者の着易い洋服を作って、ファッションショーでも開きたい。」と、夢を語っていた彼女は、生き生きとしていた。

社会貢献を目指して、頑張る事は、生きがいでもある様だ。

年齢、性別に関係なく、「世の中の何かに役立っている。」と言う事が、元気を出させる元だ。 


彼女の創作意欲は、少しずつ、私にも伝染して来た様だ。

洋服作りも、時間をかけて教えてもらったが、最も大きな教えは、「物作りの謙虚さ。」だった。 友人として、最高の贈り物を貰った事を心から感謝している。


さて、最近、習った洋服作りが、違った形で役に立つようになって来た。私流の創意工夫が、健康な生活を維持する為に、必要になって来たのだ。 自分自身の生活の質を向上させるための工夫と、創作である。

例えば、長くパソコンに向かっていると、疲れやすい。 
それでは、パソコンを使わないで居るか?、何か自分に合った工夫をして、この文明の利器を使い続けるか・・? どちらを選択するのかな?

また、肩の凝りにくい着るものの工夫は無いか? サプリメントを摂るだけで、他の工夫は試みないのかな?

宿泊先のホテルで、より良い睡眠を取るための工夫は何か無いか?

ホカロン使用時に、低温火傷の心配なく、疲労回復を図れる、まさに一石二鳥の便利で、実用的な素材は無いか・・など創意工夫のテーマは、いくらでもある。

発明、発見、特許などと言う言葉は、我々凡人には、縁のない言葉だと思っていたが、案外、身近な日常生活の中に、ヒントはあるものだ。

難しく考えなくても良いのだ。
企業が、商品化したものだけが、使い易い物とは言えないので、自分向けに、ちょっと手直しすると使い易くなる場合が多い。

また、素材を探して、健康に良い物を作ってみるのは、もっと楽しい。

私は、自分用に、いろいろな物を試作してみたが、結構、満足度が高い。 これらを利用しながら、さらに、改良を加えて見る。

趣味と実益を兼ねて。 著作権登録もやってみたが、これは、さらなる創作意欲に繋がるので、楽しみが増える。

でも、結構変な物も出来ているので、人様には、お勧めできない物もあるが、そんな時は、「失敗は、成功のもとよ!」と自分を励ます。

自分だけの創作の世界を持つのも、生きる事への意欲を養うのに役立つ様だ。 
予想以上の物が出来た時の喜びは、ひとしおだから。

目標は、100点の「優れ物」作りだ。
何かを見る時、注意深く観察し、前向きに、「改良点」を模索する。

「生きがい」とは、意外と身近な所にあるのかも知れない。
積極的、かつ貪欲に、創作する事は、ボケ予防にも役立つはず。

何でも役立つものを、考えてみませんか?
それって、案外、「幸福のもと」かもしれません。

いつにか、私流、「生活に役立つ優れ物」を少しずつ、お披露目しましょう。  おたのしみに!



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ルチンは、いかが?
2007 / 10 / 09 ( Tue )

韃靼そばを召し上がれ! 

友人がスーパーで面白い物を見つけたから、見に来ないかと誘ってくれた。 

面白い物と言うから、歩くとしゃべり始める靴とか、音楽を聞かせるとむくむくと伸びて来るカタツムリの角とかを想像してみた。
 面白い物と言う限りは、出来るだけ常識では、考え付かない様な物を想像してみる方が、楽しい。

 面白い物と言えば、以前、東京ビッグサイトで、買ってきた小さな瓶入りの、植物を思い出す。  
「バイオ技術によって生まれたミニチュア植物のストラップ」だ。 直径1センチ、高さ4センチ弱の小さな瓶の中で育っている植物が、かわいらしい。 

バイオの技術でこんな物まで出来るのかと、感心する。 ちょっと見には、生きている植物の様には見えないが、半年ほどで、全体が、1センチ程に伸びて来たし、 葉っぱも全体に大きくなっている。 やはり、生きている植物なのだ! 
 こう言う物を「面白い物」と言うと筆者は、勝手に考えていた。 

アレコレ変わったものを想像しながら、友人の元へはせ参じて見ると、テーブルの上に載っているのは、小さなビニール袋に入った何の変哲もない小粒の穀類の様な物だ。 

「え? これって面白い物なの?・・・・どこが?」と腑に落ちないでいる私に、彼女は一気に説明する。 

「これはね、韃靼そばと言って、ルチンと言う成分が、普通のそばの100倍も含まれて居るんだって!脳梗塞を予防し、心臓疾患や、糖尿病にも効くんだってさ。 凄い物でしょう。 こんな小さなものにそんな有効成分がたくさん含まれているなんて、夢の植物よねえ!」と。 

(しゃべる靴でもなければ、伸びるカタツムリの角でも無かったのだ・・。 急いでやって来た割には、ちょっとガッカリだな。) 

「韃靼そば? どうしてそれが、面白い物なの?」と不思議そうに小袋を見つめる私に、「とにかく今、入れるから飲んでごらん。色、味、香りの三拍子揃った蕎麦よ。」と力説する。 

濃いレモン色、ふくよかな香り、それに何とも言えない濃厚な味。 

それに、何よりも、毛細血管の弾力性を上げ、糖尿、花粉症にも良いとなれば、ある意味で、注目に値する「面白い物」には違いない。

 毎日食べる事によって、韃靼そばの持つ力を最大限に引き出すそうだ。
 お茶として、飲んだ後は、捨ててはいけない。 
ご飯に混ぜて炊くか、味噌汁などに入れて、食べてしまうのが、上手な食べ方だそうだ。

 ヨーグルトに振りかけたり、サラダにかけたりして、そのパリパリ、プチプチ感を楽しむのも良さそうだ。 

友人は、さらに続けて言う。「これを常食する民族も居るそうよ。その人達は、病気知らずらしいよ。ある意味で、我々は、成人病予備軍みたいなものだから、何とか食事に取り入れて食べる工夫をすることね!」と。 

そばアレルギーの人は、別として、これなら、お茶として飲む以外にも、御飯として食べるには、香りも良く、美味しいので、抵抗なく食べられそうだ。 

クッキーの材料に混入して、焼いても好さそうだし、ミキサーで、細かく挽いて、きな粉の様にして食べても申し分ない。

 気を良くした私は、その日から、食卓に「韃靼そば」を準備した。

 もちろん、誰も「変な味だ。」とか「飲みにくい。」などとクレームを付ける者はいない。 むしろ、積極的に買ってきて、食するほどのファンになった。  

特に香ばしい香りは、心を和ませる。 

その後、韃靼そばのお店を見つけて食べに行ってみたが、さっぱりとして、美味しかった。  日本そばよりもスッキリしている。

 現在、韃靼そばの薬用効果に着目して、プリンや、かりんとう、ふりかけ、ペットボトル入りのお茶、薬膳そばパンなどが、商品化され、販売されている様だ。

 無理なく、美味しく、長く食する事が出来れば、現代人の健康維持に一役買ってくれることは、間違いない。

 家庭で、毎日食べるには、やはりお茶として飲んだり、御飯に炊き込んだりするのが、一番無理なく続けられる方法だろうと思う。 


そろそろお茶の時間だ。 熱い韃靼そば茶で、一息入れよう。 

皆さんも、是非お試しあれ。 きっと、ホッとしますよ。

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二ナの提言
2007 / 10 / 08 ( Mon )

家事は脳を鍛えるのに役立つか?

「手は第二の脳だから、10本の指を使うのが良いらしいから、ピアノを弾くあなたは、いつまでもボケないかもね!」と、オランダ系アメリカ人の医学生ニナが、ポツリと呟いた。(老化する脳について考えたのはこの時が初めてだった。)

彼女は、大学院で化学を専攻した後、しばらく薬品会社で、研究員として働いていたらしい。 満足のいく給与と地位が与えられ、研究もうまく行っていたはずだったが、家族の反対を押し切って突如退職をした。

彼女の豹変ぶりにご両親はじめ、友人たちは、狼狽したそうだ。

心配する家族を、尻目に、人生の方向転換を図ろうと、サッサと、医学部に編入して来た医学生だ。

毎日夜遅くまで、勉学に励む彼女の口癖は、「年を取るごとに、努力しなければ,脳は猛スピードで老化する。」であった。

「だから、私は、他の医学生よりも年を取っているから、その分、暗記科目の解剖学には余程注意を払わないと、単位が取れないわけよ!」とボヤイテいる。  (「ホントかなあ? まだ30代半ばだろう?」なんて、人事の様に、軽く聞き流していたのだが・・)

ある夜、午前一時近くなって、二ナが、広げた右手のひらに、大事そうに何やら白い小粒の塊を、載せてやって来ると、おごそかに私の目の前に差し出すではないか・・

「ン?何だコリャ・・?」と見上げる私に、「上げようか? これ、記憶力を一定時間保てる薬なのよ。」と自信ありげに説明をする。
彼女がもと働いていた製薬会社が開発した新薬らしいのだ。

そこで、解剖学の試験前夜には、試験開始時間を計算して、この白い小粒の薬を飲む事にしているそうだ。

暗記したものは、試験終了後までは、忘れないので、これまでの試験は、全て、高得点でパス出来た。と説明を続ける彼女。
さらに「老人の物忘れ防止にも有効だ。」と言うからオドロキだ!

「アメリカ人には、効いても、日本人にはダメかもよ!」と軽く断ったが、本当にそんな妙薬があるのかと、以来この種の薬には、何となく興味が湧いてくる。

「医者になって、やがて、やって来るだろう高齢化社会に向けて、高齢者のボケ症状を無くするように社会に貢献する。」と言う夢があると熱く語る彼女だったが、その後、夢は実現したかな?

持続時間の長い、記憶力維持薬は、普及しているのかな? アメリカで。

あれから、相当長い時間が経っているが、私を励まし、笑わせてくれた友人の予想は、的中している。 
日本も例外ではなく、未曾有の高齢化社会に突入してきた。 (二ナが危惧していた通りになっている!) 

認知症などが、問題になっている今日、脳が、若さを維持できる秘訣って、本当にあるのだろうかと考えるが、きっと一つの方法だけでは解決できないだろうと思う。

一般人には、法外な高値の新薬などあったとしても、手が届かない訳だから、せめて出来るところから、やってみる努力は必要だろう。

本屋さんには、これらのテーマに関する書籍類が、いろいろと販売されている。 脳に良い食事、(健脳食)、音読、速読の勧め、童謡を歌うこと、塗り絵、折り紙、語学学習、パズル、数独・・等など・・

ここらあたりなら、出来そうだと思う事をやってみるのも、無駄ではないと思う。自分に合った継続しやすそうな事を実行してみる事だ。 
家庭環境や、体力など、諸条件を考慮して、やり始めてみる事が肝心だ。

また、家事をする事は、大変有効な脳活性化の手段であると言える。
手順を考え、効率的に時間配分をし、体全体を使うから、運動にもなる。
料理や、掃除などをこなして行く為に「手」は良く使う。
(手は第二の脳ですぞ。よく、動かす事です。)

電化された家庭内の仕事でも、やって貰ってばかりいるよりも、自分でやることの方が、遙かに頭を使うし、体も動かす。

「やらされている。」と思えば、苦痛だが、全て、「自分の為」と思えば、やる気も起きて来るものだ。

不完全であっても、「やらないよりはベターだ。」と少しばかり、自分を激励すると、案外気楽な気持ちでやれるから、不思議だ。

(しかし、褒められもせず、継続する事が当たり前で、定年退職の無い「主婦の仕事」は、誰に認めてもらえるのかな・・?と時には、考えてしまいませんか?主婦のみなさん!)

でもね、とりあえず、この奉仕作業の代償として、「ボケにくい頭」を維持できるとすれば、悪くはないですよね。


二ナと私は良く笑った。 
短い食後の談笑の時間は、貴重な情報交換の時間だった。 
ただし、試験前夜から、試験最終日迄は、例外。

頭を振ったり、大声で、笑ったりするとせっかく記憶したものが、無くなってしまうから、「ソッと、小声で、頭を揺らさないで笑う!」 そして、「遠くから、大声で、相手を呼ばない。」とのルールにも従った。

それって、本当に効果が、あったのでしょうかねえ?
もしかして、大笑いした方が、試験の成績は良かったかも知れませんね。 リラックス効果の方が、大だったなんて事かも知れません。

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都会の秋祭り
2007 / 10 / 07 ( Sun )
自然の中で 楽しい休日を。

やっと見つかった駐車スペースに車を止める事が出来た。 普段の日曜日よりもはるかに駐車台数が多い。

車から降りると、どこかから和太鼓の演奏が聞こえてくる。
今日は、連休二日目なので、大勢の人出でごった返しているサイボク広場だ。

ここは、埼玉県川越市郊外に隣接する、日高町。
埼玉種畜牧場サイボクハム。 

筆者が、安全な豚肉を求めて、頻繁に訪れるスポットである。
 
土日は家族づれが多く、特別なイベントがなくても混み合っている所だ。 (今日も例外ではないようだ。でも、なぜか普段の日曜日よりもはるかに人出が多い。何か特別なイベントでもあるのかな?)

買い物を兼ねて、温泉施設で骨休めをしたり、手作り教室で、ハムづくりを体験したりと、それぞれの楽しみ方で、休日のひと時を過ごせる場所だ。

この時期、日本各地で秋祭りが盛大に催されている様だが、都会の人たちにとっては、それらしき楽しみ方を提供してくれるサービスはありがたいものである。  都会の秋祭りの様なものである。

広場には、いろいろな屋台が出店し、相当数のベンチが用意されているので、飲食する場所には事欠かない。 思い思いの物を購入して、食欲を満たす事ができるように工夫がなされている。

民間企業の経営努力とばかりは、言えない。 大勢の家族づれが、楽しい一日を過ごす事が出来る場所を提供する事は、社会貢献度が高いとは、言えないだろうか。 

近郊から知らない大勢の人たちが集まって来て、イベントを楽しむ事が出来る時と場所を提供してくれるのだから、町内会の秋祭りとは、また一味違った趣がある。

そんな事を考えながら、広い駐車場を横切って、大勢の人々で賑わっている広場に出てみると、そこが、和太鼓の演奏会場であった。

居並ぶ観客の前で、勇壮な和太鼓の演奏が次々と披露されている。
4〜5メートルの至近距離で、ドンドン、ドドーン、ドン、ド、ドドドーン
と体全体に震動が伝わってくる。

こんな至近距離で、生演奏が聴けるなんて、何てラッキーな日だ!
全く予想していなかった嬉しい八プニングである。 

(今朝の烏骨鶏の半熟卵も、昨日のものとは違って、上出来だったし、和太鼓の演奏もきけるし・・・言う事無しの良い日だ。)

全身で力強く太鼓を打つ演奏者のパワーに圧倒されながら、
軽妙に、また重奏に演じられる和太鼓の世界に引き込まれる様に、聴衆は、大満足な表情で、太鼓の音色に聴き入っている。 (秋だよ!日本人の心意気だよ!・・と語りかける様な太鼓の響きである。)

素晴らしい演奏を楽しませて頂いて、大満足である。
心身共にパワーが漲って来た。 太鼓の持つ不思議な力のせいかな?

今日は、丁度、「ありがトン 祭り」のイベントが催されて居るようだ。
(豚は、トンと読むでしょ。 それで、「ありがとう」でなくて、「ありがトン」になったのだろうと勝手な解釈をしている訳です。?ホント?)

ペットの犬を連れたご夫婦、家族、友人、趣味の会の仲間同士・・みんな楽しそう。 談笑にふけるグループ、買ってきた物を見せ合って、それらの用途を説明しながら、お互いの袋の中身を評価し合う婦人会のメンバー達、・・歩行者天国が、そっくり移動して来たような通路の状況は、熱気でムンムンしている。

美味しそうな焼き芋の良い匂いにつられて、1本350円也の焼き芋をベンチでほおばる私たち親子。 売店のご夫婦は、「大きいから、半分こにしてはいかがですか?」とご親切に、半分のサイズにして、手渡してくれる。 

2個買うように勧めないのが、人情味を感じるから、人間って不思議だ。 白い紙袋に半分ずつを包んで、笑顔で「おいしいですよ!」と言葉を添えての、心のサービスがまた嬉しい。

大きな「新高」梨と、目的の豚肉を買い込んで、私たちは、西側に傾いている夕陽を眺めながら、帰路に就くが、 まだ、駐車場の入り口からは、どんどん車の列が、中に入って来ている。

明日も、もう1日お休みだから、時間は気にしていないのかも知れない。まだ、営業中だから。(十分お楽しみくださいね!)

日本の社会は、平和だ。 

上手に休暇を利用して、気分転換を図ることを、働き者の日本人も自覚し始めた様に思う。 

手入れの行き届いた庭園ではないが、車窓から眺める景色は、里芋畑、ゴマ畑、長く続くネギ畑・・など自然のそのもの。 人工的では無いのが返って心をホッとさせてくれる。

疲れた心をソッと癒してくれるテクニックを、大自然は持ち合わせているのだ。 (心の健康って大切ですよ。)

今年の夏は猛暑だったけれど、「我が埼玉にもやっと秋が来た。」と安堵しているところだ。  

暑さでダウン気味の体も心も少しずつリフレッシュして、秋の深まりと共に、元気を取り戻して来るだろう。 また、どこかで、和太鼓の生演奏を聴く機会が得られることを、願っている。

演奏して頂いた皆様、御苦労さまでした。 
元気を沢山頂いて有難うございました。 また、どこかで、素晴らしい演奏が聴けます様に!!

(日本人も、余暇を楽しめる様になって来たのだな〜!)













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友人からのプレゼントは今?
2007 / 10 / 06 ( Sat )

彼岸花が、やっと咲いた!

今年は、今になってやっと我が家のプランターの彼岸花が咲いた。
例年よりも10日ばかり遅い開花だ。 

こんな事なら、来年は10月下旬頃になってやっと咲くのかな?
だんだん遅くなって、12月の花になるのかな?等と考えながら、窓越しに真っ赤に咲き始めた 花を眺めている自分が滑稽だ。

無意識のうちに、温暖化する環境に脅威を感じているのかも知れない。

地球は近い将来、どうなるのかな? 

私達が出来る事は、何だろう?

まあ、せっかくの三連休の第一日目なのだから、深刻な問題は、平日に廻して、のんびり、ゆっくりしたいと思いながら、少し遅めの朝食を摂る。

この彼岸花は、青森県に住む、友人が、送ってくれたものだ。

いつだったか、彼岸花の利用法について彼女に語った事があった。

「彼岸花は、唐ゴマと一緒にすり卸して、踵の真ん中に7個ほどのお灸をすえた後に、足の裏全体に貼ると、利尿効果抜群らしい。」と。

しかし、「彼岸花の球根が必要な時、花の時期でなければ、見つける事は、困難だろう?」と彼女は答える。

「うん、そうだけど、これって、有毒だと聞いているので、・・触るの、ちょっとねえ・・」と消極的な私に、「来年、プレゼントして上げるから、楽しみにしていて。」と軽いノリで、会話は終わった。

翌年、白い大きなタンブラーに、蕾のついた彼岸花が、送られてきた。

宅急便のお兄さんが、両腕にしっかり抱えて大きなリボンのついた箱を届けてくれたのである。 すっかり彼岸花の事は忘れていた私だが、この贈り物を大歓迎した事は言うまでもない。 彼女は、あの約束を覚えていてくれたのだ。

それから、毎年、彼岸花は、私たちの目を楽しませてくれる。
彼女は私に「これで、いつでも湿布が出来るよね!」と笑顔で念を押したが、その後、一度も湿布として役立っていない事を喜んでくれている。
「満開の花を楽しんでくれると言う事は、あなたが、元気であると言う事だから。」と、温かい笑顔が返ってくる。
(友達って、有難いものだなあ・・ いつも心にかけていてくれるなんて・・・!)

そんなわけで、今年の開花が、遅れていると気付いた時、内心「枯れちゃうのかな?」と心配したものだ。
でも、大丈夫、今年もちゃんと咲きました。

今が、満開だから、やはり、少し遅咲きだ。

テーブルの上に準備した、「烏骨鶏の半熟卵」、本日は、失敗作だ。
油断しているうちに、「固茹で」になってしまった。 元来、この卵は小さいので、火の通りが、早いのだ。

栄養満点の「半熟」を期待していたのに・・「今日はツイテないな!」とガッカリだ。 しかし、こんな事で、落胆していては元気が出ない。

「満開の彼岸花の写真でも撮ってのんびりとするのも、上手な休みの過ごし方かもしれない。 「柔らかめの半熟卵」を目指して、油断せぬ様に。

青森の彼女も、彼岸花眺めているのかな? 
明日は、きっと良い事がたくさんあるよね。 


素敵な親子連れに貰った元気

買物に行った近所のスーパーで、素敵な親子連れに会った。

木のベンチに腰かけた女の子を連れた父親らしい二人連れだ。
小さな女の子は、お父さんに寄り添って、隣のベンチに座った私を見つめている。 無邪気な可愛らしい女の子だ。

「お父さん大好きなのね?」と問いかける私に、女の子は、大きく頭を振って、「うん!」と笑いながら答えた。 

何歳かとお父さんに尋ねると、そのお父さんは、小さな女の子に向かって、「自分で答えなさい。」と促すのである。 
女の子は手を前に差し出しながら、二本の指を立てて、「ニサイ・・」と返事をしてくれた。
子どもに代わって、親が、答えてくれる場合が多いのだが、この親子は、ちょっと違っていた。

しばらくすると、今度は、女の子のお兄ちゃんらしき男の子が現れた。
女の子を少し前に動かして、自分が父親にくっついて座ろうとしている。
どちらの子もお父さんにくっついていたいのか、譲らない。

そこで 「お父さんの両側に座れば、良いかもね!」と私がアドバイスをすると、元気よく男の子が、父親の向こう側に移動した。 これで、問題は解決だ。 両側から子供たちに挟まれてお父さんも幸せそう。

お兄ちゃんの方は、六歳で、幼稚園の年長さんだそうだ。
サービスに逆立ちをして見せてくれた。 お父さんも優しい眼差しで、二人の子供たちのしぐさを眺めている。 もちろん私も嬉しい気分になった。

しばらくして、今度は、お母さんがどこからか現れた。 
4人揃ったので、お家に帰るのだろう。 「どうもお騒がせしました。」と頭を下げる父親に続いて、子供たちは、嬉しそうな笑顔で、お母さんを見上げ、今度は、私に向かって、素敵な笑顔で、「さようなら!」と言って去って行った。 爽やかな余韻を残して。

なんだか私も元気とエネルギーを貰った様だ。 「今日は、良い日だったじゃない!」とこの4人連れに出会えた事に感謝する。

親殺し、子殺し、兄弟殺し・・と不幸な事件の多発する今日の社会でも、こんな素敵な親子がいるのだ。 

日本の社会もまだ捨てたものではないかも知れない。

全く面識の無い人から、元気を貰う事ってあるのですねえ。
汚れの無い笑顔って、本当にすごい力がある事を、改めて感じました。

明日は、また素晴らしい出会いが、あります様に!  


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食の安全を確保出来るか
2007 / 10 / 05 ( Fri )

安全な食を探し求めよう。

「もしもし、今日送りました蜂蜜と一緒に、無農薬のレモンを入れておきましたから、焼き魚にかけて、食べてみてください。 我が家用の安全レモンですよ。 さんまのおいしい季節になりましたよね。 ちょっと、まだ青いのですが、香りも良いし、きっと喜んで貰えると思って、新聞紙の詰めの代わりに入れましたよ・・・・」

こんな連絡を頂いた翌日、昨夜電話で連絡を頂いた荷物が、到着した。
大きな、グリーンのレモンが、蜂蜜の瓶と、青蜜柑の間に10個ばかり入っている。

私が、蜂蜜漬けの加工品を自家用に作る為に、その都度、送って頂いている養蜂農家の奥様からの心のこもった荷物だ。

早速、無農薬の青蜜柑(これも自家用)を丁寧に洗って、輪切りにし、みかんを蜂蜜に漬け込む。 「これで、使い終わった、パッションフルーツ蜂蜜漬けに代わって、利用できる物が、間もなく出来るよ〜ん!」と、思わず顔がほころんでくる。

この奥さまの経験によると、柑橘類を蜂蜜漬けにする時は、ほんの少し焼酎を入れると発酵が進みにくく、長く置いても、お酒の様になりにくいそうだ。

無農薬レモンは、今夜のサンマと卸大根に絞ってかけてみよう。 この
お宅の自信作のレモンである。 例年の如く、美味しい筈だ。
こんなやさしい心遣いをして下さるお気持に感謝しながら、ありがたく頂戴した。 やはり、美味しい!

青蜜柑蜂蜜漬けの方は、1リットル入りの瓶に13本ができた。
後は、一週間ばかり待つ。 
毎日一度は、かき混ぜて「その日」が来るのを待つばかりだ。
 
一日毎に、青蜜柑の酸味と蜂蜜がバランス良く混ざり合って、蓋を開けた瓶の中から豊潤な香りが辺りに漂ってくる。

青蜜柑の蜂蜜漬けに挑戦するのは、今年が初めてだ。 どんな味に仕上がるのかと興味津々である。

待つ事一週間、さっぱりとした、優しい感じの製品が出来上がった。 大満足だ。 予想を遙かに超えた出来上がりだ。 (花マルです。)

料理に、デサートに、また果汁100%のガマズミジュースに・・と利用範囲は広い。

当節、まがい物が、大手を振って出回っている中で、こんな贅沢をして申し訳ない気持ちであるが、まあ、本物を探し求める努力はしているつもりだ。 努力に対するご褒美であると思えば、こんな贅沢をしたとしても、少しは気が楽だ。

ところで、過日、食品添加物に関する本を購読した。 「食品の裏側」と言うタイトルが付いている。 軽い気持ちで、読み始めたが、ページが進む程に、内容は、深刻。 眉間に縦じわが出来て来る。

やはり、実態はこんな具合だったのかー! まさに本のタイトル通り、「食品の裏側」が、問題なのだ。
 
普段私たちが、何気なく口にする食品は、本当に安全なのか? 世間で、喧しく取りざたされている複合汚染の問題は、我々の身体に今後どのような影響を及ぼすのか?など、改めて考えさせられる。

一年間に相当量の添加物が、体内に取り込まれて居るそうだが、それらが、アトピーや、アレルギー症状にどのように関わり合っているのか。
また、発癌性の問題は、無いのか? 誰もが、とても気にしている点である。 

この本を読んで、私は、買い物をする時、添加物表示の部分を良ーく見るようになった。 しかし、表示義務のない添加物などもあって、我々の目に付くのは、全体からみるとほんの一部らしい。
化学調味料、たんぱく加水分解物、保存料、着色料・・・・具体的にどの位入っているのかな?

一旦体内に取り込まれた添加物は、きちんと体外に排出されているのか。 また、それが、簡単にできる事なのか。 疑問である。

旅行中の楽しみの一つに駅弁があるが、これも、添加物の事を考えると、突然カラー写真が、白黒写真に化けてしまった様な感じさえする。
でも、外出先で、断食する訳にはいかないだろう・・? なるべく、添加物表記の列が短い物を選ぶ事にしようかな?

筆者は、その後、家庭で使う調味料や食材について機会あるごとに、より安全な状態で、食する事が出来る方法について、勉強を進めている。

食は安全か? というテーマに行き着くのだが、結局、食べないでいる事は、不可能だから、安全な状態に少しでも近づく努力をすることにした。 何もしないでいる時よりも、遙かに手間と時間はかかるが、次のような事に取り組んでいる。

例えば、農薬たっぷりの野菜類を良く流水で洗う、とか塩水にさらす、 薄い酢水に漬けて残留農薬を落とす、少量の塩を入れたお湯でサッとゆでこぼす等、下処理の段階で、各野菜に適合する方法を用いて調理すると相当量の残留農薬が、除去されるらしい。

気休めかも知れないが、出来そうな事から、やって見るつもりだ。

近所の本屋さんで、棚の隅っこの方に置かれていた小さな本を見つけた。 ベストセラーの書籍棚からは、離れた場所にあったので、見つかったのが、ラッキーだった。

安全な食べ方への指針を与えてくれそうな本だ。
身近に置いて、その都度、下処理の仕方を読んでは、実践してみている。 まあ、下準備の仕方についての簡単な辞書の様なものだ。

さて、次には、体内に取り込んだ物を、どの様にして体外に出すか?と言う大きな問題にぶつかる訳だが、これについては、偉い先生方が、イロイロと秘伝を公開されているようだ。

デトックス(廃毒)ですよ。 関連書籍も大変多い様である。 
時間を見つけて、読んでみませんか?

健康であることへの弛まぬ努力は、一人一人の決意次第。
他力本願では、本当の健康を手に入れる事はできませんよ。

「さあ、どうしてくれるんだ?」とボヤく前に、あなたは、「何をどうするのですか?」と問いたい。 

健康診断を受け、保険料の患者負担割合を減らすだけでは、問題は解決しません。 要は、自覚の問題です。 人生は、長さ、よりも質だと思いませんか? 継続的自助努力・・・・をお勧めします。 






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末梢治療奮戦記
2007 / 10 / 04 ( Thu )

体へのご褒美  リング療法 実践編 (3)


久しぶりに空を見上げてみると、雲の間から、所々青い空が広がっている。 「ヨッシャ!、洗濯物が日光浴出来るかもよ・・」と隙間なく洗濯物のぶら下がっているハンガーをベランダに運び出す。


濡れた洗濯物のぶら下がったハンガーは重い。 これを、運び出す作業は、何度か捻挫、骨折を経験した私の手には、少し負担の重い作業である。 


けれども、殺菌の為には、ここは直射日光の出番なので、、家族への「思いやり」とばかりに、色とりどりのハンガーを、注意しながら、物干し竿に並べて掛ける。


晴れた日の朝の、どこのご家庭にでも見られるシーンである。


ちょうど我が家の前は、通学路になっていて、平日は、どこからか集まって来た小学生達の列が、幾つも通過して行く。 次いで中学生たちが、思い思いの大きな荷物を手に、おしゃべりに花を咲かせながら、かたまって通る。


最後に少し時間をおいて、保護者に連れられた幼稚園児達が、通り過ぎて行く。 長閑な朝のひと時に感謝。


一連の作業を終えて、「今日も、平和だなあ!」と、心が和んでゆくのを感じる。 暴走する車も見られない。 有り難い事だ。


さて、元気の出てきたところで、今日は、リング治療についての締めくくりとして好転現象の体験についてお話しよう。


このリングは、装着していると、体の悪い部分が、反応して来る。 そして、ひどい場合は、リングが、早い時期にボロボロになってくる。


私の場合、最も顕著に現れた反応は、首に出来たグリグリ(瘰癧)である。 二度目に北条を訪問した日の出来事だ。


頭用リングを装着して、約1時間後、ホテルへ帰りついた直後、右耳の下の方にピンポン玉くらいのグリグリを見つけた。 今朝は無かったのに、ヒョッコリと出てきている。 触ってみても痛くは無い。


おとぎ話に出て来る「こぶ取りじいさん」の話を思い出しながら、考え込む私を見て、北条まで同行して行った姉が言う。「これは、どうしたのかねえ?今朝は無かったのに。 頭のリングのせいかなあ?」と、内心少し動揺している私に向かって、さらに言葉を付け加える。


「大丈夫かなあ? どうやったら治るのかしら?」と、心配そうにである。 質問したいのは私の方だ。 頭のリングで、こんな物が、出てくるなんて、一言も聞いてなかったし、どうすりゃいいのか分からないと言うのが本音なのだ。


動揺を隠しながら、「こぶ取りじいさん」は、どうやって瘤をとったのかなあ・・・などと、他愛のない事を考えて見るが、妙案は無し!


特別思い当たる原因は見つからない。 変わった事と言えば、この頭用リングだ。 きっと、これのせいだ!!


良かれと思って、装着してみたリングなのに、「な〜んでだあ?」と不思議に思う。


治療法が、さし当たって見つからない。 原因と考えられる頭のリングを外して、さっさと外科医に助けを求めるのも一案だ。


だが、みじめな気分で、病院へ行ったら、外科医は,「訳のわからない事をするからだ。」と冷笑するかもね・・・。

んな事なら、いっそ、 「もっとグリグリが大きくなるまで、装着を継続してやろう。どうせ、出来てしまったのだから。」と開き直った。 それに、今更嫁に行く訳でもない。


それから、約5日が経過した。 


その間、暇さえあれば、治療用リンングで、撫でる。 もともと、痛みは無いので、気にさえしなければ、生活に支障は無い。 ただ、少しばかり、目立つ。(外科の先生だったら、切除を勧めるだろうなあ・・・。)

開き直りのついでに、経過をしっかりと観察してやろうと、首の周囲から、肩、指先まで、毎日何度も、リングで治療してみた。原因が、リングの装着によるものであれば、必ずこれは消える筈だ。 (もし、このリングが偽物なら、効き目はないだろう。 その際は、自分自身の選択の間違いを嘆くしかない。しかし、これはちょっとした賭けだ。)


心の中で、こんな葛藤を繰り返しながら頑張った訳だ。


ピンポン玉の様に盛り上がっていたなグリグリが、徐々に高さを失い、平たくなって来始めたのが、その頃からである。


「アンリャ、!山が丘になって来たよ。」と毎日私の首を観察していた家族が、驚きの声を上げた。 同じ様に感じていたのは、私だけでは無かったのだ。 


それから、2日程して、グリグリは消えた! まるで、最初から何も起こらなかったかの様にである。


その時、私は、「勝った!私の選択は正しかった!」と感動した。 長い闘いであった。 1週間があんなに長く感じられたのは、初めてだ。


これは、一つの闘いだったのだ。 癌に対しても同じような事が起こるのだろうと推測する。 


体の到る所で、同じような現象が起きているのに違いない。 ただ、目に見えないだけなのだ。と納得する。 この現象を理解するには、目立つ場所だった事が、幸いしたと言える。 しっかりと外から観察出来たのだから。


この一連の経過を、共に観察していた家族も、同じ思いだったそうだ。


その後、腰のリングの外側が、緑色になり、手首は、濃い灰色の刺青の様な模様ができ、親指にはめたリングは、一週間程でボロボロになる・・。


首リングを架ければ、脇腹、お腹と痛くなる。耳に装着すれば、今まで何ともなかった耳が、痛み始める。 


何度も、負傷した右手のリングは、短期間でガサガサしてくる。 もっと長持ちしてもらいたいと思っている指輪は、簡単にダメになる。 家族中がこんな現象を体験した事を、特筆しておく。  


努力を継続していくうちに、みんなが、確実に健康になってきたのだ。  喜ばしい事である。


そんな中で、主人は、比較的リングによる反応は、少なかった。


ところが、今年、左肩の骨を痛める事件に遭遇し、人工骨を挿入した後、しびれの残る指にはめている指輪は、1月ほどで、ボロボロになっているらしい。 (もっと悪い場合は、1週間でダメになった経験もしましたよ〜) 


ボロボロになっても、はめていると痺れや、痛みが無いので、離せないらしい。 手術をしていない方の指輪は、変化なしなのだそうだ。


当然新しい物と買い替えたいのだが、現在の任地には、安全に荷物が届く保証がないので、しばらく古いまんまで使用を継続する事を余儀なくされている。(必要な物が、すぐに入手できる我々は、し・あ・わ・せ!) 


こうして、観察してみると、本当に悪い箇所の反応は予想以上である。 悪い何かが反応しているのだろう。


最初の頃、手首に出来た反応を見て、まるで、江戸時代の流罪の刑に処せられた島帰りの手首を、想像させられたものだった。 (アンレ、何だコリャ? 「おみゃあ、島帰りか?」じゃあ済まないよねえ。)


デトックス(排毒)現象かな?


こう言う訳で、「リングの力が、働いているからこそ、激しい反応が出て来るのだ。」と言う私なりの結論を出すに至っている。


どんな場合も、好転反応はつきものである事を、十分理解していたはずの私だが、このリングの反応には、うろたえましたよ。


でも、体が、本当に良くなる前に、送って来る信号は、案外こんな形で表れて来るのかも知れません。


本来人間の持っている免疫力が、何かの理由で抑え込まれてしまっている事の方を嘆くべきかも知れませんね。


やっぱり、「本物と出会えたのだ!」と感謝して、これからも、この不思議なリングには、日々の健康管理に役立って貰いましょう。 


越野先生、Thank you so much!







 






16:38:14 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
末梢治療奮戦記
2007 / 10 / 03 ( Wed )
自分流リング療法  実践編 (2)

日本の中小企業の社長さん方は、商品開発に独自の創意工夫をされる方が多い。 当節、海外の安い商品が歓迎される中、アッと驚くような物を開発されてるのを見聞きして、「日本の企業も安泰だ。」と喜んでいるのは、私だけではない筈だ。

ある社長さんなどは、夜寝る時も必ずノートを近くに置いて、いつでも出てきたアイディアを、その場で書き留められる様にしているそうだ。
(さすが、創意工夫のある方は、違いますねえ!)

ところで、今朝、面白い商品をテレビで紹介していた。
 
防災用のグッズで、インテリアとして、普段は目立つ場所に置いて楽しみ、いざ災害のその時には、セットされている防災グッズを取り出して使う仕組みらしい。

普段インテリアとして、家族の目に触れる所にあるから、探す手間がかからず、誰にでも持ち出せるから、サッと利用出来るのが、ポイント。

災害に備えて、多少なりとも普段から、防災グッズを用意しているご家庭はかなりあると思われる。 しかし、問題は、突然やって来る「その時」
に間に合うか、タイムリーに役立つかである。

いざと言う時には、うろたえて、どこに仕舞ったのか探すのにも手間がかかる。 
保管したはずの場所に肝心の必要なアイテムが、見つけられなかったり、保管場所が、一か所では無い場合には、捜し回る・・など案外期待通りには役立たない場合が多いのである。

この様な、場面を想像してみると、これは、良い工夫だと感心する。 
非常に合理的なアイディアだ。
災害時の教訓を生かして、新商品を開発された方に脱帽だ。
  
「備えあれば、憂いなし!」ですね。

ところで、災害用品ではないが、病気や、突発的な怪我の「その時」に役立つリングの利用法を本日のテーマとしよう。

昨日の続きですぞ。 知っておいて損は無い備えについての、私流利用法である。

治療用リングは、擦ったり、撫でたりする以外に、急な発熱の時に冷水で冷やして、脇の下や、頭を冷やすのに役立つ。 

腰用リングは、腰痛に対応するのが、主目的であることは、言うまでも無いが、次の様な利用法がお勧めである。 

普段、くっついている方を腰に当てているが、お腹の調子が悪い時には、前後を反対にして、くっついている方をお腹にセットすると、 お腹がスッと楽になる。
風邪などで、胸苦しい時は、肩にかけると呼吸が楽である。 筆者は、就寝時によくこの方法でリングを利用している。
背中が痛む時には、選挙の立候補者が、懸けているタスキの様にしょってみると、予想以上の効果が得られた。

貼り付け用は、凝っている所や、痛い場所に貼り付けて使用する。
ツボの上に貼り付けて使っても効果がある。

鼻用リングは、難聴の方が使用されると効果的だそうだが、筆者は別な目j的の為に利用している。 
過労気味の時、2個をセットで耳たぶに挟む形で装着すると、深い睡眠がとれ、疲労感から、解放される。 翌朝はお目覚めスッキリ、頭シャッキリなのに驚く。 日中耳に付けていても、イヤリングの様なので、違和感が無い。 (ちょっと、可愛く見えますよ。)
その為に、耳には、子供用のリングを使用している。

元来鼻用だから、喘息の発作の起きそうな時には、普通サイズを鼻に装着すると、呼吸が楽になる。 

飛行機で旅行する際には、気圧の変化に対応するべく、装着してみたが、耳鳴りや、頭痛から解放された。 長時間の空の旅には、私にとっての必需品である。 不思議なもので、鼻にヘンな物をくっつけているけれども、ジッと見られるだけで、誰も、これが何であるか質問してくれない。
(アフリカの原住民みたいだ・・!と、内心おかしく感じている様な表情は、している様なのですがねえ。)

去年、肺炎を起こした友人に、このリングを装着して様子を見てもらったところ、ティッシュペーパーを一箱使い切るほど、洟が出たそうだ。 出るものがすっかり出てしまったら、それでおしまい・・詰まっていた鼻がスッキリして、楽になったと言う報告が来た。 (もちろん、感謝されましたよ。)

その他、耳用、頭用、首用、マル秘用、など用途に応じて使用すると、目的は、十分達する事ができる。 期待に応えてくれるスグレものだ。

この、不思議なリング、使用法や、効用については、枚挙に暇がないが、北条(現在は松山市)の先生の所には、相当数の具体的な事例に基づく報告書が届いているそうだ。 

治療用リングの話に戻るが、手足に限らず、全身をほぐすように撫でると、全身の無駄な力が抜けて、本当に楽になる。 家族間で、試してみると効果テキメンだ。 

また、緊急事態に備えて覚えておいてほしい事がある。
楽しい筈の旅行中に転倒した場合には、携帯しているどのリングでも良いから、それで、患部を撫でてやると、大事に至らず、痛みからも早く解放される。 この事も、イザと言う「その時」に役立てて欲しい。

いろいろと使ってみる度に、新しい発見があるこの不思議なリングは、私にとっては、保険の様なもの。 まさに「転ばぬ先の杖。」、「備えあれば憂いなし。」の小さな助っ人である。

「ありがとう!今日もお願いするよね!」と、今から自分流リング治療始めまーす。 

興味ある方は、是非お試しあれ! 次々と新しい発見があり、自己健康管理の楽しみが増えますよ。  


今日も一日、良い事が、沢山あります様に!!






 
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末梢治療奮戦記
2007 / 10 / 02 ( Tue )
自分流リング療法 実践編

今の心境は、グレゴリアンチャントまたは、ご詠歌を聴いて瞑想をしたいというところだ。

音楽は、いろいろなジャンルがあって、その時々で、聴きたいと思うものが異なっている。 おそらくその時の自分の心と体の状態によって、欲するものが、違ってくるのだろうと思う。

あまりにもおぞましい事件が多い今日、心の安らぎを求めて、静かに瞑想し、偉大なるものとの対話を祈りのなかで、実現される方々も大勢いらっしゃる事だろう。 

仏教の教えの中で、「利他行」とか、「布施の心」とか聞くけれども、この教えは、私たち全ての者に対して生きる事の基本姿勢として送られているメッセージだと深く感じる。 宗派、年齢、国籍・・に関係なく、また、時代の変化と共に変わることのない、教えだと思う。

「自己健康管理のススメ」で、筆者が伝えたい思いは、「心と体の健康管理」であるから、体の健康に関する知識や、技術の切り貼りではない事を強調したい。 

生かされていることへの感謝の心があってこそ、元気で社会貢献ができるのであるから、この基本を理解して頂きたい。

今日は、リング療法を、実践して行くのであるが、あくまでもこれは、私流であるから、 本筋ではどの様に実行するのがベターなのかは、各自で、研究、実践し、疑問のある部分は、北条(松山市)の先生にアドバイスをお願いする事をお勧めする。

では、「利他行」を実践できる為に、頑張ろう!

リングの利用方法として、自分で実践出来る体の部分と、手の届きにくい部分があるので、まず、このリングの開発者の先生の提唱されている末梢治療に関する部分について述べる。

私は、両手、両足、については、まず、手首から先、足首から先を治療用リングで、こする。 上下、左右そして関節の周囲、爪の生え際から、爪の上、を万遍なく暖まって来るまで、やる。

指の付け根の間、(八邪とか言われた様だが・・)は、ユー字型のリングが使い易い。 ここは、ギュッと押す。 痛いですぞ〜!

皮膚を傷付けない為に、時々、本藍染のガーゼで覆ってこすることもある。 傷ついている部分は避けること。 皮膚が剥けるほど馬鹿力を入れてこするのは、厳禁だ。

手首の周り、足首の周りは念入りに、小さいリングで押したり、撫でたり丁寧に、愛情をもって治療に当たるのだ。

手足は、目立たない存在だが、体の異常をいち早く教えてくれる大切な信号の役目を担っていると感じている。 

例えば、足の土踏まず、足首の真ん中あたりが、他の部分と異なる感覚があったり、くるぶしの骨の下あたり、とか、その日の体調によって不調を感じる部分が異なる事に、段々と気がついてくるものだ。

足の指先が、歪んでくると、どこの内臓の異変を知らせて来ているのかな? と探偵まがいの事を勉強するのも、興味深いものだ。

とにかく、手足の先まで、新鮮な血液、リンパ液、ホルモンなど滞りなく流し、また、老廃物を返す、という循環が、滞りなく行われるように、チョイと力を貸す訳だ。

手足の冷え、便秘、肩こりなんかは、病気のうちに入らないと思ったら大間違いですよ。 この段階で気を付けることだ。 大事に至る前に。

次は、両腕、両脚。 これは、面積も広いので、できれば、大きい治療用リングを使うと効率が良い。 私は、サイズの異なる治療用リングを、適材適所に使う事にしている。 その理由は、治療に当たる手が疲れてしまわない為である。 

手足の付け根から、手首、足首までの間に、しこっている部分や、特別強い痛みを感じる部分は、要注意と言う事である。 丹念に繰り返し擦ってやると良い。 段々としこりがとけて、柔らかくなり痛みが薄らいでゆく。

こんな作業を、「いつもお世話になって、ありがとう。」と言う思いを込めて繰り返してやると、効果は抜群。

「なんで、こんなに悪いんだ! 全く手がかかって、ショウガナイな!」なんて、不満をもらしながら、治療しないことだ。

手だって、足だって、目立たないけれど、どれだけの貢献度があるか? 考えてみる事だ。 脳の指令に従って、奴隷のごとく日夜尽くしてくれているではないか! 褒められることも、感謝される事も無くである。

感謝の心を忘れないことだ。 
充分時間をかけて、感謝の心を持って、丹念に治療する事だ。


痛さを克服して、一通りの治療を終えた時、手足だけでなく、体全体が、レラックスして、軽くなっているのに気づくはずだ。
 
「足って、こんなに軽かったのかな? 背中も、亀の甲羅を下したみたいだなあ。」と感じる。 この爽快感は、体験してみなければ分らない。

手足の治療を終えただけで、これほど体が楽になるのだ。 ビタミン剤や、サプリメントを摂った時の感覚とは、違った、爽快さを味わう事が出来るわけ。

今日のレポートは、ここまで。
自分を労わり、感謝の心を持つこと。 それが、「利他行」の第一歩だ。 

「自分だけ良ければ良い。」と言う事ではありませんよ。
自分を大切に思うから、他人にも優しくなれるのです。
他人の苦しみや、痛みが分かってくるから、より深い理解が持てる。

お互いに、自助努力してみましょう。 出来る事からやれば良いのです。
三日坊主も、四日目から又新しい三日を始めればよいのだから。

だから、わたしは、小さな助っ人(リング)をいつでもポケットに持っているのです。 いつでも、どこでもを合言葉に、・・継続できるからね。 
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